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リバーズ・エッジ 愛蔵版

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 宝島社
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東京の下町の閉塞感、行き詰まりを鋭く残酷に詩情溢れて描いてる ★★★★★
岡崎京子の「リバーズ・エッジ」はとてつもない傑作であった。随分前に書かれているので、今頃読むのは私の不勉強のせいであるのだが、岡崎京子の感性が天才的レベルにあることがよく理解できた。東京の下町の閉塞感、行き詰まりを鋭く残酷に、そして詩情溢れて描いている。漫画というメディアの凄さを思い知る。登場人物はほとんど救われない。最も脳天気な女の子が狂気に走り、主人公の家を放火して自らも命を絶つところなどは、鳥肌立つものがあるが、そういうことってあるよね、と思わせる説得力に溢れている。主人公の若草ハルナが最もまともであり、読者をこの狂気溢れる東京のティーンライフに安心感を持たせて入り込ませるナビゲーター的役割を果たしているのだが、最後の方でモデルをしている吉川こずえが「あの人は何でも関係ないんだもん」とホモの山田に言うところは、凄い。というのは、このような狂気的な東京ライフにおいて真っ当に生きていくためには「関係ない」関係性を築かなくてはならないことを鋭く指摘しているからだ。そして、おそらくそうなのであろう。
 そのうちどうせ我々はくたばる訳だが、そのくたばる直前まで努力をするのが人間だけでなく生物の見えない、というかDNAの意志であろう。それ以外に道はあるのか?それにしても、この10年以上も前に書かれた漫画、今読むとまさに現在の日本の都市の現実をまざまざと描いているようにも思えて、まるで予言の書のようである。まさにリバース・エッジのような事件が今、日本中で頻発している。岡崎京子の社会を見る洞察力の凄さに深く感銘する。
☆岡崎京子氏が類い稀な才能を見せつける意欲作 ★★★☆☆
☆1996年に交通事故にあう不幸に見舞われて、未だに闘病生活を続けているコミカル=ポップ漫画の秀才、岡崎京子氏が感嘆な設定で描いた毒々しい等身大?と憂いの群像劇である。1990年代の子供たちの心の闇を高校に通うハルナといじめを受けている同級生である山田があるとんでもない「宝物」をハルナに見せるお話を中心に、姉が自分の妹の容姿?を理由にカッターで刺すお話やモノを食べては嘔吐する拒食症?の神経過敏なモデルの悲劇、等の異常心理?のテーマを扱った表現作を断片的に繋げていく無類の構成は非凡な創造力である。全編、絶妙な過激さがブレンドされており、澱んだ傾向感に暗黙たる思いが集結されている。鬱屈した不気味さと痛々しい疲労困憊な世界観が読む人には果たしてどう感じられるでしょうか。絵は決して上手いほうではなく下手ではあるが、このストーリーにバランスよくハイブリッドしており気にならない。過剰なまでの残酷さが身に滲みる挑発的な傑作である。※不遇な交通事故に合われた岡崎京子氏の完璧な大復活を心から願っております。頑張って下さい!。
発売当初、手放しで賞賛している評論家がやたら多かった。 ★★★☆☆
ティム・ハンターの同名タイトル映画
「リバース・エッジ」をモチーフにして描かれたコミックですね。
映画の舞台はアメリカの片田舎でしたが
「鬱屈した若者」と
「放置された死体」というキーワードは共通しています。
デニス・ホッパー扮するダッチワイフを愛人とする親父がホモ漫書いてる姉貴と想定するのはちょっと苦しいか。

ファンサイトやあとがき見ればよく分かる事なのですが
岡崎先生の著作はまんま他の作品のシーンやフレーズ、はたまたシチュエーション等を引用している事が良くあります。

創作は何かをお手本として成立しているので、それが間違っているとは思いませんが、
特別に氏の著作が優れているという根拠も無いと思います。

発売当初は
評論家の間で話題になりましたが、オリジナリティに満ちた作品であるように賞賛し、拡大解釈していった文献の何と多かった事か。
インテリジェンスも九十年代的なんですね・・・と、本作を読んだ時よりもずっと暗澹たる気分に陥りました。

それにしても愛蔵版にしては表紙がこれまでで一番地味なんじゃないですか?
時代感覚を超えたもの ★★★★★
この作品が発表された当時、若者の熱狂的な支持を集めたそうだ。
しかし、作品が単行本化されてから、もうすでに15年の時を経た。
15年というと、もうそれは「当時」と表現できるほどの時間だと思う。
 
この『リバーズ・エッジ』は感覚に訴える作品だ。
所謂、ストーリーを追いかけていって、感動する、恐怖する、悲しむタイプの作品とは違う気がする。
94年という時代に生きる若者の死生観、肌で感じる時代感覚を作品を読むことによって追体験できる作品のように思う。
つまりは、時代と密接に繋がった作品ということだ。
 
話が戻るが、15年というと、若者にとっては一世代違う。
もうこの作品は、今の若者とは時代感覚がずれてしまっているということ。
では、この作品はもう古いのか?
そんなことはない。
僕は、今でもまだ何とか若者に分類される世代だと思う。
そんな僕がこの『リバーズ・エッジ』を読んだのが5年ほど前。
それでも鮮烈なものがあった。
 
ポップでオシャレな絵。
背筋が凍ってしまいそうなほど無機質な登場人物。
岡崎京子という人の研ぎ澄まされた感覚が、時代と密接に繋がった作品でありながら、いつの時代の若者も共鳴してしまう作品へと仕上げた。
岡崎京子という作家の天才性が、この作品を読むことによってビンビン感じられる。
 
ウジが湧き、白骨化していく死体を宝物だと言う山田君。
食べては吐き、吐いては食べる吉川こずえ。
若草さんが最後に流した涙。
 
何をしたいのか、何を求めているのか、それすらも分らないまま、生きている実感を追い求める彼らの姿は、時代を超えて、この先も残り続けるだろう。
何処に属するか? 私とは何か? ★★★★★
何か美しい感情があるかのように思い込むセンチメンタルな主観は「恋」とか「青春」とかいう概念をあてがってみる。半ば意図的な誤解。夜の鉄橋から見る町並や闇の底に沈んだ澱み、昼間の校舎脇で聴く日常という喧噪までの距離。秘密をもたらす隠微な時の共有を経て橋の欄干越しに夜の底へ落ちていった涙の訳を、憎悪を目の当たりにし孤独と混沌を持て余したまま通じ合うことのない彼らは、互いに解き明かす術を持たないまますれ違っていく。

世紀末へと加速する90年代初頭の頽廃の空気の中に描かれるうらぶれた群像は夜風に混じる塩辛い砂の欠片を噛んだ苦い顔をしている。臆病で虚ろな思考の停滞。水面下で壊れていきながらそれを表明する術を知らぬまま抜け落ちていく歯車。胸の卑屈なラ音を誰が聴くだろう。傷つき、罵り、憂さを晴らし、胸をなで下ろす人間には聴き取れはしない静かな予兆は何一つ確約せぬまま、破滅する瞬間にすら迷い余所事を考えている。対立する世界の狭間で引き裂かれたところに生まれる優しく脆弱な魂が喪失した主体は影となり澱んだ町の風景に溶け出してしまう。