スウェデンボルグ批判試論
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十八世紀異国の万能学者に楯突くのもいかがなものか、とは思うが、端的に著者スウェデンボルグと私の見解が相違する部分を指摘すると、霊界は確かに存在するのだがそれは死後の世界ではない、ということをまず第一に上げておく。彼は「見てきた」とか「行ってきた」とか場景の具体的な描写まで示しているが、霊性が精神的なものである以上幾ら空間的な説明や描写をしたところでそれはやっぱり精神的想像的なものである。精神主義ならそう言わねばならないし、比喩となる部分は比喩であることを断らねばならないだろう。そうである以上如何な霊的な登場人物が過去の人物であっても、それが死後のその人自身である保証はどこにもない。これは身体的死に意味は無いという立場に容易に行き着く。私は死後の世界は無い、という立場から、霊は地球外の宇宙人であるか、万一にも太古に霊界に旅立つ技術を開発した地球人の祖先である可能性はあっても、歴史時代を生きていた現世の人間が死してなおそのままで霊界に霊魂を留めているというのは曲解である、と考えている。よって、霊界論は人間にとっては完全に他者論である、と。
また、悪霊を諫め善霊を味方に付けて天国を目指さねばならない、などという最も単純な二元論が全編を覆っているが、これも私には承諾できない。彼の描くのは罪人も悪霊も救われることが一切ない世界だが、この世の普通の自然的現実でさえもっと複雑だし、霊界はもっと柔軟に考え直さねばならない世界になっている、と私は考える。最後まで悪(霊)が悪(霊)として問題であり続け、蹴飛ばせれば済むような問題ではない、悪(霊)と真正面から向き合うことで容易には払拭できないそれらそのものをも克服する道を見出さねば、それは真の道ではないのだ。