会社組織に例えてあるところが面白い
★★★★☆
なんとなくタイトルに惹かれて読んでみたが、とても面白い。
一編が大体30ページづつと短くて、サクサクと読めるし、短いからといって内容が薄いわけでもない。
要点をしっかりつかんで、なおかつ読んでいるものを納得させる文章はとても参考になる。
すべて魅力的で面白く、納得させられるものばかりだったが、印象に残っているのは、聖徳太子と光源氏、徳川家康だ。
聖徳太子では、日本人の宗教は仏教がほとんどのはずなのに、クリスマスやバレンタインデーを祝う長年の疑問が解けた感じだった。
光源氏では、日本の組織がなぜ海外と比べて特異なのかがわかった気がする。
徳川家康はずっと日本人の原型を作ったと思っていたが、よりそう思った。
本当に面白く、納得させられるものばかりだった。
しかし、面白がっているだけではこの本を読んだ意味がないし、著者もそれではがっかりするだけだろう。
「はじめに」に書かれていたように、これから大変革していく社会にたいして学ぶことが必要だ。
社内を客観的にみる視点
★★★★★
この常識って、いつから常識なんだろう...。
社会人なら特に誰しもが一度は思うことだろう。また、それが常識なのだと気がつかないことすら多い。
そのような疑問を抱いた方にとって、いまだ有効な参考文献になるのではないだろうか。
本書では、たとえば戦国時代のやり取りをまるで、「ある企業の出来事」のように置き換え説明しているところが多々ある。
徳川家、豊臣家を企業と見立て、部下の一人であった石田三成が一大プロジェクト(関ヶ原の合戦)を企画するといった表現はとても面白い。
時代は変わりつつあるが、それでも本書で記されている内容はすぐ身近にあることを再確認でき、「日本にはそのような無意識の意識があるのだな」と認識した上で行動することは、無自覚よりもはるかに良いように思う。
現代社会に与えた影響について書かれています
★★★☆☆
本書は、歴史上の人物の中で特に現代社会まで影響を及ぼし続けている歴史上の人物について書かれています。
本書で紹介されているそれぞれの人物が行った政策により現代日本社会へ与えている影響について書かれています。
歴史上の背景は自分が知っているものと異なる点もあり、非常に興味深かったです。
現代日本社会に対する著者の皮肉
★★★★☆
現代の日本がどのように変化していくのか、
こういったことを考えるには、
まず、日本と日本人の歴史の流れを知ることが重要である、
として、歴史上の人物を紹介し、
そこに日本社会の特色を作り上げてきた根源を見ている。
前編である本書では、
聖徳太子
光源氏
源頼朝
織田信長
石田光成
徳川家康
が取り上げられている。
例えば、「思想上の構成」であった光源氏は政治家として何もしなかった。
これは強力な指導者が必要な動乱期(戦国時代など)以外の安定期において、
光源氏のような上品な人は他人と争うような指揮監督はしないという伝統から、
リーダーシップ拒否現象や集団意思決定構造を生んだ。
これは現代政治における無指導型・調整型政治家に典型的に見られ、
「なんとなく決めたらいい」という雰囲気のもと、
会議はするものの集まるだけで、
結局は事務局案が通る、というもの。
こういうところには、
会うだけで満足するものの会うことは必要だから、
日本では交際費、旅費交通費、福利厚生施設に莫大な費用がかけられていて、
アメリカの3倍、ドイツの16倍という指摘をし、
本書には随所に現代政治批判が挟み込まれている。
また、先ほどの事務局案が通るということから、
石田光成のような中堅官僚であっても、
関が原の戦いのようなビッグプロジェクトを立ち上げることができる、
つまり日本は偉くなくても大きな企画を推進できる国であるとする。
そりゃ言い過ぎやろ、ようそこまでゆうなあ、
と思いつつも、へぇー、そんな考え方あるんやぁ、
面白いなあその論理、
という感じの本。
卑怯者が歴史を作る
★★★★★
源平合戦で源義経が勝った理由にびっくり。
源義経は船戦で平側の船頭をねらって矢を射った。
それは、その頃の合戦の仕方としては「卑怯」だった。
船頭は漁民などが駆り出されてやっていたので、もともと戦闘員ではなかった。
戦闘員でない者に矢を放つのは、ルール違反。
そこをねらったのが義経。
船頭たちは死ぬのが嫌なので、戦列放棄してしまった。
平の武将たちは「義経、卑怯なり」と言って、海に沈んでいったんだそうです。