日本文明論と怒りの表現
★★★★★
平易な語り口で誤字、荒い言い回しを推敲したとはいうものの、日本史全体を独りの著者が対象にした本書である。付いていけない部分があって当然、立ち止まってそうかな、と考えながら読まねば意味はないだろう。私は逆に、これまでの時事評論よりも難解な書に仕上がっているという気がしてきて、思うように読み進められなかった。
「西洋、東洋を問わず、両方ひっくるめたユーラシア大陸の文化全体と日本の文化とがあい対しているのである」(69頁)
日本ということを一つの文明と捉えていく過程で繰り返されていることであるが、ここは本書の趣意を端的に表している。著者はこのことを説明するために、言語、神話、宗教、政治、美術、・・・そして歴史そのものを論じていく。
「在来の大自然の奥に棲む恐るべき精霊や悪魔との戦いも、また容易には完了しなかった。仏像が邪鬼を踏みつける姿は、そうした自分たちの過去を克服しようとする意思の表れではないだろうか」(396頁)
「日本の仏教美術にのみ怒りが正当な位置を与えられている」(398頁)
これは四天王像や不動明王像が口絵写真からも引かれる中で言明されている部分。従来、気味が悪いとのみ思われていた避けられる部分が、著者をして正面から最も高く評価されている。霊一般を悪霊として内に向かって憤怒、押し殺すのでなければ、邪気は収まらない、覇気が内奥に向かって、しかし、その内奥で認識された全き他者に向かって抑制されつつ表現されねばならない、これほど明解に正当に怒りの表現を評価したのは初めて、そうだ!、と思わず思った次第である。