1999年時点で99%にものぼる日本の火葬率の高さは、アメリカの30%はもとより、世界火葬協会の本部が置かれているイギリスの70%という数字から見ても、きわめて突出している。しかし、日本における火葬の習慣は、古くは、法相(ほっそう)宗の開祖道昭が、遺言により火葬されたという文武天皇4年(700年)までさかのぼるというものの、庶民の間では土葬が一般的であり、火葬は長く縁遠いものであった。
本書は、日本で火葬が普及した経緯から、主燃室と前室という2段階の燃焼炉を持つ火葬場の構造の詳細、無煙・無臭を実現した「再燃炉」の技術や火葬場のダイオキシン問題、また、納骨堂や公園墓地、霊柩車などの誕生の歴史まで、自治体の葬祭施設計画の策定を手がける著者が、日本の葬送をおもに技術的な側面から捉えて解説したものである。
形状を残したまま燃焼しなければならないという火葬技術の奥深さを知るだけでも本書は楽しめるが、とくに評価すべき点は、工学博士の視点から客観的な情報を積みあげることで、正確な現状の把握や検証をなおざりにして、自然回帰や個人の自己決定権といった耳触りのよい言葉で語られがちな葬送の自由と権利の問題に対し、「日本の葬送文化そのものが揺らいでいる」として警鐘を鳴らしていることである。「少子化による無縁墓の増加」「葬祭費用の高騰」「用地の不足」などの諸問題に対して反論を試みる本書は、葬送の多様化を考えるうえでの多角的な視座を提供するものでもある。(中島正敏)
葬送に見る共同性の喪失
★★★★☆
本書は1965年に生まれ、「人生の半分近くを弔いごとについて考えながら暮らし」、葬祭施設計画の策定に参画している工学博士が、弔いごとの技術的な工程やそれを取り巻く社会環境の変化について、2000年に刊行した新書本である。本書は「死後の自己決定権」や「葬送の自由」という最近の風潮(その内実は多様であるが)に警鐘を鳴らし(厳粛さも区切りとしての役割も喪失したけだるい代物となりかねないという危惧から。ただし全否定はしていない)、「死を意味付け、遺された者を落ち着かせる仕掛け」という点に葬送の原点を求め、それが近年機能しなくなっている理由を、社会背景の変化に求める。そのために本書は、火葬場(主として環境に配慮する技術の進化と課題等)、遺体処理(撒骨、エンバーミング=ミイラ葬等)、霊柩車、墓地(墓石の誕生、公園墓地化、墓地産業と墓相学、立体の納骨堂(覚王山日泰寺等)・永代供養墓、サイバー霊園等)等について、その歴史・技術・法制度・国際比較を踏まえて論じている。その際、墓地不足、墓地価格の高騰、墓の守り手の欠如といった「常識」が検証されると共に、墓相学の背後に商業主義が、立体納骨堂の個別化と永代供養墓利用者間の親睦会結成の背後に、現代社会における共同性の喪失が指摘される。世界火葬協会の存在や、火葬場の台所事情や危険、火葬場分布の偏り、日本の葬送慣習の東西の違い、都市計画と納骨堂の関係等の指摘も興味深い(トリビアは満載)が、論点が拡散している感も否めない。
視点が斬新でした。
★★★★★
この手のタイトルの本は宗教学者等が著書しているケースが多いが、火葬場を建築的に分析されている点が面白かった。都市社会を考える時ににも必要な視点です。
都市インフラとして理解するのにいい本
★★★★★
火葬場と言えば嫌悪施設の代表みたいなものですが、みんなが一度は必ずお世話になる重要な都市インフラとして理解するのにいい本だと思います。
ふむふむ
★★★★☆
焼き加減もいろいろと難しいものがあるのですね.曾祖母の葬式
のときは私はまだ小さかったため,ほとんど覚えていませんでし
た.この本は,死んだらどうなるかという点について考えるよい
機会となりました.儀式的な面と,ビジネスとしての面をうまく
すりあわせて行くのがたいへんのような気がします.この業界は
普段はあまり気にせず,いざ身内が死んだら急にふりかかってく
る領域を扱うのですから,こういう本でその存在をアピールする
ことは大事なことだと思います.