時空を超えた古代型の超大国に超人ウェーバーが挑んだ
★★★★★
大著である。しかしこれもより広範な「宗教社会学論集」の一部であって、その論集で最も有名なのが、小品「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」である。ほかには岩波文庫にもある「古代ユダヤ教」が、本書に比肩する大著ということになる。しかし、本書の内容は、案外にウェーバーの解説書などでも外されていることが多く語られていないが、紐解いてみてびっくり。内容は「儒教と道教」などというものに矮小化されるものではなく、中国社会構造論、構造史論、とでもいうべきもので、表題の内容は、本書後半になって現れる。冒頭から中国の貨幣の歴史、都市、支配構造、官僚制、租税、行政、農業制度、それらに関わる法制史、さらに教育制度、教養について等々、全社会に対する構造と史的考察が網羅される。その圧倒的な知識量、渉猟される文献量は途方もないもので、ウェーバーという人物の能力の超人性に仰天するだろう。あまりの広範さに、そもそも何の話をしているのか、ハタと忘れるほどだが、個々の内容は充実していて道に迷いながらも目移りするほどに内容は豊饒。要約だの筋を追うなどあまり難しいことを言わずに堪能したい。翻訳についていえば、たまに日本語として崩壊している場面もあるが、巨大な本であることと、ウェーバーの文章であればこういうことは仕方がないことで、しかし、むしろよどみなく流れる文章は名訳と言ってよいと思う。とにかく、超大国清国は、ウェーバー存命中存在した時空を超えた古代王朝の如きで、本書は、その圧倒的な奇怪ともいえる存在感に、超人ウェーバーが挑んだ傑作といえる。数千年の長きにわたる歴史と、およそ西欧諸国など比肩するなど馬鹿らしいほどに広大な社会。その一国一文明を把握するとはこういうことか、とウェーバーに教えられる。如上のように、経済社会的基盤から説き起こすスタイルは、マルクスの唯物史観とも思いたくなるが、叙述は多元多面的、しかし一応の「基盤」説明の後に「上部構造」=「精神」のはなしになる。儒教にも或る種の合理性を認めつつも、それをピューリタン的な現実を越えていくような「合理性」とはみないで、現状追従型の合理性とみていると思う。尤も、本書冒頭から、ウェーバーの中国への理解は、その絶対的「停滞性」に本質を見ており、その点では、ヘーゲルの「歴史哲学」、マルクスの「唯物史観」などと通じるものがある。西欧の「合理性」、「西欧近代とは何か」がウェーバーのテーマだったとすれば、それを本当に支えたのは、本書ではなかったか、と思える。本書なくして、相関的な意味で「合理性」「近代西欧」は語りようがないと思う。本書に対する批評などできる知識も能力もないが、とにかく言えるのは、できたら買って読み飛ばしてでも、一度読んでみてください、ということです。ウェーバーの既読の作品の中では、量質ともに群を抜いていると思う。