くだらなさへの執着
★★★★☆
「グレート生活アドベンチャー」と「ゆっくり消える。記憶の幽霊」の中編2作品。
主人公のどうでもいいようなことへの執着をユーモラスに描いている。
「グレート…」では無職で彼女のところに転がりこんでいる主人公が、
ドラクエ的RPGをステータスも金もすべてマックスな状態にして、
ゲームの中ではなんでもできるのに、実際は所持金もかすかすで、
Gを日本円に換算してみたり、ラスボスの魔王を倒すのに迷いが出てきたりで、笑える。
確かにレベルもマックスで、○〇の種も使ってステータスを上げて、
アイテムもコンプリートしたことがあるが、
あれは達成感などほとんどなくて、あったのは無駄なことをした、
その時間でほかにどれだけ有意義のことができたかと思う気持ちに蓋をすることだった。
この主人公も、どうにもならない自分に、あるとき焦燥感にかられるが、
その解決が亡くなった妹がなしえなかった、親に孫を見せるということ、
なんとも哀れで、滑稽なユーモアさである。
超氷河期世代、集まれ〜
★★★☆☆
私たちなら共感できる話です。
といっても私は主人公のようにニートではないけど…それでも共感できる。
やっぱり同世代の考えることに触れるのが一番落ち着きます。
ティーンエイジャー向けの携帯小説にぜーんぜん共感できないみんな、この小説読んでみるとよいですよ。あまりにくだらなくて、馬鹿げていて、でもわからないでもない…不思議な感覚に浸れます。
現実と仮想、他者と自己の境界線がナチュラルに曖昧
★★★☆☆
いま30歳。氷河期世代、ロストジェネレーション。俺は勝手にニューエイジって呼んでるけど、“生産にも消費にも欲望しない世代”である。「グレートアドベンチャー」に「生活」を挟むタイトルもそうだし、「僕は東京に生まれた。ちょうど魔王のいる洞窟に入ろうとしているところ」っていう書き出しもそうなんだけど、現実と仮想がシームレスな感覚ってのはこの世代以降には結構ナチュラルなものなんじゃないかな。「今俺さ、ゲームの人が考えてたことわかったぜ」ってセリフとか、漫画「堕天使の吐息」のストーリーと、カノジョの日記の中の元カレとのストーリーの類似とかね。現実と仮想もそうだけど、他者と自己の境界線もナチュラルに曖昧だ。主人公はカノジョの家に転がり込んでいるんだけど、性的なシーンは皆無。そりゃそうだ、他者と自己がフラットで、そこに差異が見出せなければ、支配したいとか一体になりたいといった欲望は生まれない。そこに旧来的なドラマやロマンはない。でもね、現実と仮想、他者と自己を自由に行き来出来るってそれ、まったく新たな可能性であってさ。現実と仮想、他者と自己が一緒で差異が明確じゃないとしたら、お金使わなくて済むよね。そして、「俺は大丈夫だろう。多分。なんとなくそんな気がして30年。このままあと60年くらい乗り切れないだろうか」っていう楽観。この主人公、なんとなく、90年も生きるつもりでいる訳だ。差異も欲望もないってことは、生死の観念も薄いってことでね。主人公の、他者への思いやりとかが一切ない、のんべんだらりとした風情、鈍感さに、呆れ、侮蔑の感情を持つ一方で、これからの、消去法としての処世術ってのも感じるんだよね。
併載の「ゆっくり消える。記憶の幽霊」は、大阪弁抜きの「わたくし率イン歯ー、または世界」って趣き。この人、一見ひよわでだらしなく見せて、一筋縄じゃいかないふてぶてしさ、醒めた視線持ってるね。