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全体主義の起原 3 新装版 (3)

価格: ¥5,040
カテゴリ: 単行本
ブランド: みすず書房
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人間性を破壊し、人間を動物以下に貶め、大量に殺戮する全体主義 ★★★★★
 第三巻「全体主義」は、第一巻・第二巻の内容が序章に過ぎなかったことがよく分かる一冊。反ユダヤ主義と帝国主義が共に社会・国家を攻撃し、その有効性を確かなものにしていた法の効力を無力化しようという意図を持っていたこと、その二つの仕組みをいわば隠れ蓑にして全体主義は機能し始める。それ自身無矛盾で現実から遊離して発展していく全体主義的運動は、社会や国家との繋がりを失った大衆の支持を集め、不満を持つ各階層をも魅了しながら広がっていく。民族共同体、あるいは共産主義社会の建設を謳いながらも、裏に飽くことのない領土の拡張、世界全体の征服、計画的な民族絶滅、そして共同体内での理由なき殺戮などを通じた人間の絶対的支配、という表向きの教義とは関わりのない真の意図を抱き、全体主義支配によってその意図を実現させていく。その経過は、目もあてられないほどの悲惨と目を覆いたくなるような人心の荒廃を招いていく。人は互いに互いを侮蔑し合い、密告し合い、恐れ合い、そうして共に生きて共に強くなれるはずの人間本来の人間性を失い、動物以下の存在へと貶められる。読んでいて辛くなる部分も多く、暗澹たる気分が沸いてくる。

 しかし、読み終わった後にはなぜかある種の感動が残る。それはきっと、著者のハンナ・アレントがこの問題から感性的にも知的にも道徳的にも目を逸らさず、絶えず分析し思索することで希望を見出そうとしているからだ。最後の章で、ルソーが「人類不平等起原論」で口にしカントが第二批判・第三批判で展開した自由意志、全体主義が支配対象の人間たちをそれぞれ孤立した枠に押し込め、必然性のくびきにつないで「こうでしかありえない」動物以下の因果的存在に貶めるのとは違った原理、以前の出来事に囚われずに何かを始めることの出来る能力としての「自由」、「そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない」と問える自発性を人間の一番の宝として擁護する姿には、今まで書物を読んできた中で最高度の感動を覚えた。

 政治は本来どんなものかが逆に分かる。政治の危機について考えたい人には、一番にお薦めする著作。
内容も価格も凄まじい(笑)古典中の古典 ★★★★★
 本作品『全体主義の起原』に序文を書いているヤスパースも言うように、この第3部「全体主義」から読むのがお勧めです。内容的にも最も重要だし、アレントの説明の無駄のなさ、そして翻訳の日本語の読みやすさも、第3部が一番だったと(個人的には)思うからです。3冊全部読むのが面倒だという人は、第3部を読むだけでもいいでしょう。それだけでも十分に、アレントの研究の“凄まじさ”を堪能できます。

「『全体主義』という言葉をみだりに使わないよう慎重に」なれとアレントは警告しているのですが、それはヒトラーのナチズムとスターリンのボルシェビズムが、他のあらゆる支配・組織形態と異なって真に独創的であったのだという区別を明確にするためです。独裁者が存在すれば「全体主義」、言論・情報統制をやっているから「全体主義」、全国民的団結を求めるから「全体主義」……という程度に「全体主義」を理解している人にとっては、意外な指摘の連続で驚かざるをえないでしょう。
 「全体主義」は、「独裁」や「専制」とははっきりと区別される。全体主義の指導者は「デマゴーグ」でも(ウェーバーの分類でいう)「カリスマ的指導者」でもない。全体主義のテロル(殺戮)は、政敵(反対派)が存在しなくなったあとに初めて本格的に始動される。全体主義の組織において、いわゆる「上意下達」の命令系統の絶対的ヒエラルキーは大した重要性をもたない。「反ユダヤ主義」や「マルクス主義」のイデオロギーそれ自体は全体主義的ではない。……などなど、アレントが示す“意外な”分析結果を具体的に理解して初めて「全体主義」という言葉を使うことが許されるのであって、だからこそ本作品は近代政治史の古典中の古典なのです。