「『全体主義』という言葉をみだりに使わないよう慎重に」なれとアレントは警告しているのですが、それはヒトラーのナチズムとスターリンのボルシェビズムが、他のあらゆる支配・組織形態と異なって真に独創的であったのだという区別を明確にするためです。独裁者が存在すれば「全体主義」、言論・情報統制をやっているから「全体主義」、全国民的団結を求めるから「全体主義」……という程度に「全体主義」を理解している人にとっては、意外な指摘の連続で驚かざるをえないでしょう。
「全体主義」は、「独裁」や「専制」とははっきりと区別される。全体主義の指導者は「デマゴーグ」でも(ウェーバーの分類でいう)「カリスマ的指導者」でもない。全体主義のテロル(殺戮)は、政敵(反対派)が存在しなくなったあとに初めて本格的に始動される。全体主義の組織において、いわゆる「上意下達」の命令系統の絶対的ヒエラルキーは大した重要性をもたない。「反ユダヤ主義」や「マルクス主義」のイデオロギーそれ自体は全体主義的ではない。……などなど、アレントが示す“意外な”分析結果を具体的に理解して初めて「全体主義」という言葉を使うことが許されるのであって、だからこそ本作品は近代政治史の古典中の古典なのです。