懐かしくもあり、普遍的でもある家族の物語
★★★★★
東南アジアのエキゾチックなリゾート地。バカンスに訪れる観光客が求めるのは明るい太陽と、ビーチにビール。そしてできればその場限りの異性との出会い。
しかしそんな産業を支える背景には当然のように現地居住の家族の営みがあり、それぞれの生活の中には喜びや悲しみもある。当たり前のことだが、そう言う事実に気づかされる作品だ。
混血であることのコンプレックスの裏返しでの外人への憧れを持つ少年は、戦後の日本でも多く見られた、徴兵検査逃れを巡る裏取引、外国からの移民の排斥、アメリカから移住してきて孫とは言葉が通じない老人、闘鶏に入れ込む父親を持つ一家。切り口は色々あるが、どれも家族の連帯と再生を想起させるテーマであるところにまだ家族の崩壊が進んでいない救いという幸福があるように思えた。日本で同じテーマで書かれても、すでに再生するべき家族が崩壊しているのではないかという気持ちの裏返しだ。
読む観光
★★★★☆
「タイの国は能無しとガイジン、犯罪者と観光客の天国よ」(本文より)
この本が、アメリカやイギリスで好評だというのは、なかなか示唆的である。
おそらくそれは、上に抜粋したような、自分たち(西欧)のものではない視線、地元の人の「本音」がかいま見えるからだろう。
私自身の旅の経験を思い出す。
現地の人々が英語で愛想よく話かけてきて、どんなに交流ができたと思っても、彼らが現地語で話している時に、疎外感を感じる。
そしておそらく彼らは、私たち観光客を笑っているのだと思った体験も少なくはない。
タイの人々が、これを読んでどう思うのかはわからないけれど、旅をする人間なら一度は感じたことのあるざわめきと疎外感を、この本の中に見つけることができるのではないだろうか。
あえて難をいうなら、アメリカで創作の勉強をしているという同環境にある、J・ラヒリなどとやはり雰囲気が似ている。
そのせいかどうかは知らないが、意図的な作りこみがにおう部分もある。
タイの人々から見た異国人への視線「ガイジン」「観光」、タイで暮らす異国人の心を描いた「こんなところで死にたくない」、タイ独特のモチーフ「プリシラ」(カンボジア難民)「闘鶏者」(闘鶏)など、どちらかといえば、全体的に外国人向けの短編集。
これを読むことも、まさに読む観光である。
これはいいねっ
★★★★★
以前からこちらの本、気になっていたのですが、新進気鋭の作家ということで、あたりはずれ、好き嫌いあるかもとしり込みしていましたが、いや、読むべきでした。まさに新感覚だと思います。こういったアジアの国の、ごく普通の現実を書かれたものが読めて、ほんとうれしい。同じアジア人として共感できる部分もあると思う。今までリゾート地のように捉えていた自分を反省。
思いもがけず正統派
★★★★★
このタイトルに自分も含めタイ好き日本人とって、妙なタイノスタルジア的誤解を呼びそうな感じがしたので、もしかするとハズすかもと思って読み始めたのですが。
そして一編目の『ガイジン』は正にそんな感じなのですが。読んでいくほどに、すっごい正統派でちょっと驚きました。素直に「これぞ小説のお手本」という感じ、読ませます。
すっごい正統派で、且つ、小さくまとまらなそうな感じもするので、そこに期待です。トランスカルチャー感がポール・ボウルズっぽい感じもします。最後の『闘鶏師』という短編はなかなかボウルズばりに怖い感じがしました。
外国小説好きじゃない人とかあまり読まない人にもおすすめ!
青春に置き去りにされた人々へ。
★★★★★
ラッタウット・ラープチャルーンサップの処女短篇集『観光』を読むと、青春とはそれを経験するものが通り過ぎていくものではなく、青春が我々の上を通り過ぎていくものなのだと思わされる。『観光』には、青春のみずみずしさよりも、寧ろ青春に通り過ぎられた後の喪失感が描かれている。『観光』に登場する人々は、実の父親を失ったアメリカ人とタイ人とのハーフの少年や、失明寸前の母を持つ少年、富という見えない力に敗北しながらもそれを認められない父親を持つ少女など、いずれも何かが欠落し、何かを喪失してしまっている。観光客(主にアメリカ人)がタイという国を金をばらまいて通り過ぎていくように、タイに生きる彼らは通り過ぎられる存在、去られる存在なのだ。
そして、去る者と去られる者の立場の逆転は、若さや生命の輝きを引き替えにしたときに初めて実現する。失明寸前のタイの女性は、視力を失いつつあることで初めて“観光”を実現する。一方、半身不随となったアメリカ人の男性は、タイにいる息子の元に移住し、タイ人である息子の嫁に介護を受ける。彼らは肉体的に何かを失って初めてその立場を逆転させるのだ。それはすなわち、若く輝いた時代−−青春時代−−に、それが叶わないことを示唆する。だから、『観光』に描かれる青春は、青春でありながら既に去っていくことを約束された青春、叶うことのない希望に裏打ちされた青春として描かれているのだ。
そこに描かれている青春は、確かに悲しい。しかし、だからこそリアリティが感じられるとも言えよう。太陽がギラギラと照りつけ、空気を揺らめかせるほど湿度の高いタイ。そのタイの空気を、『観光』は如実に伝える。しかし、それにも関わらず日本に暮らす私が親近感を覚えてしまったのは、私もまた青春に去られた人間だからかもしれない。