インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

鋼の女 最後の瞽女・小林ハル (集英社文庫)

価格: ¥650
カテゴリ: 文庫
ブランド: 集英社
Amazon.co.jpで確認
どうか安らかに… ★★★★★
小林ハルさんについて初めて知ったのは「知ってるつもり」という番組でした。当時19歳だった私は、その1時間の番組で観た小林ハルさんの人生にとてつもない衝撃を受けた事を思い出しました。最近本を見つけ、手元に届くなり一気に読みました。 幼い頃から次々とハルさんに降りかかる切ない出来事に、ただただ涙を流しながらページをめくりました。 「前の世で悪い事をしたから明るい目をもらってこれなかったんだ。」と言って自分に降りかかるとんでもない苦労を逃げずに受けきるハルさん…。でも、そんな鋼の強さと品性をもつハルさんの、盲目という障害は、私には神様が与えた罰とは思えないのです。盲目だからと差別をする人、馬鹿にする人、虐める人…、情けをかけ、手を差し伸べて優しくしてくれる人…この本にはハルさんが旅で出会った色んな人々が登場しますが、当たり前のように五体満足で生きている人の心の方が、ハルさんを通して、神様に試されているのだと思いました。 ハルさんは1900年、貧しく、神仏にすがるしかなかった時代に生まれ、2005年、105歳で亡なったそうです。現代では考えられないような苦労をして生きてきたハルさんと、五年前まで自分が同じ時代を生きていたかと思うと感慨深いものがあります。しかも同じ、ここ新潟で。 最後に、小林ハルさんの、大変な人生を本にされた作者に感謝します。おなじ女としてハルさんの人生はあまりにも過酷です。しかし、目を背けずに読み終えて、自分も強くなろうと、素直に思いました。 ハルさん、明るい世界でどうか安らかに…。
破れた声の迫力 ★★★★☆
水上勉さんの小説に『はなれ瞽女おりん』という、映画化もされた有名な作品があります。瞽女仲間というのは盲目の女性のみの自助組織にして旅生活をするので、正規の瞽女たちの戒律や生活はとても厳しく、とりわけ性に関しては、目の見えないことで強姦されて、という場合でも、本人の不注意ということで破門にされました。

生後百日、そこひの後遺症で失明した小林ハルさんは、9歳で家を出て長岡の瞽女屋敷に弟子入りして以来、そうやって“落ちる”ことなく、最後まで瞽女として生き抜いた不羈の人です。73歳でひっそりと廃業して特別老人ホームに入ったのですが、その直前にマスコミに取り上げられて、「最後の瞽女」として注目を浴びることになります。

本著では、その厳しい人生と凛とした人となりが、下重暁子さんの取材を通じて浮き彫りにされていきます。一貫して感じるのは下重暁子さんの小林ハルさんへの敬意でしょう。

90歳を過ぎてハルさんはますます美しい、と、取材を重ねながら下重さんは繰り返しています。掟の厳しい瞽女は、その一方では、芸人として人を逸らさず、実は性的魅力も必要な職業でもあり、二律背反の大変な生活だったはずです。

瞽女や伝統芸能にそれほど関心のない人にも、仲間内での軋轢を生き抜き、見える人達への不信感や周囲の人々への報われない思いにもじっと耐え、それでもすねたり意地悪くなったりすることのなかった女性のライフヒストリーには、きっと心打つものを感じることでしょう。

「誰もなんもしてくれる人いねくなってどうする」と厳しかった母親の躾け。「目がみえたらちがうだろうが、何々好きなんて考えらんねえ」。そして、瞽女という自活の道を選んだこと。そのまま忘れられてしまうわけにはいかない生き方であり、本だと思います。
いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業 ★★★★★
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」
師弟関係や家族で非常に苦労した中でもプロフェッショナリティを貫き通した
そういう人生を総括する非常に深い台詞だと思う
鋼(はがね)の女(ひと)、尊き人生… ★★★★★
 瞽女(ごぜ)とは、三味線ひとつで各地を渡り歩き、うたを披露して報酬を得た盲目の旅芸人のこと。
小林ハルは史上最後の瞽女である。1900年に生まれ、78歳のときに無形文化財として選ばれている。
今年、2005年4月に亡くなる。享年105歳。
 その最期は、安らかであったことを信じたい。何より105歳まで生かされた人なのである。
 途中、ハルさんの苦労、悲しみを思って、何度も、はらはらと涙を流しながら読んだ。苦難の道を歩いても、
尚、失われなかった品性。ふりかかる困難をすべて自分の修行だと受けとめて、その運命に逆らわずに
まっすぐに生きた人である。磨きぬかれた「芸人」であり、一人の筋金入りの「人」であった。
 老いてさえ、ハリのある強い声、ときに幼女のように高い声で、障子をビリビリとふるわせて唄われ
たという。背筋を伸ばし端然と座る姿は、普通の人ではなかったという。
 読んで良かった。山ほどのハルさんの苦労話に励まされたのだ。
 振りかえり、修行が足りない我が身を思った。
鋼の強さと水晶の清らかさ ★★★★★
 瞽女をシャーマン、「聖なる巫女」として大切にもてなしたいにしえからのならわしはなんとも思いやり深いものであったろうか。
しかし、読み進むうちに、いや、本当に聖なる巫女であったのではないかと思うようになった。
盲目でありながら過酷な北国の山岳地帯を這うように旅をした彼女たちの生活は、まさしく修行そのものであるように私には思えたからだ。
 幼少時より視力がない小林ハルは、針仕事から身の回りの仕度まで見えないながらも、すべて時分で他人を頼らずにできるように母から厳しく躾られた。
 見えない者は人の世話にならなければ生きては行けない。 しかし、人をあてにしては身を立ててはゆけない。 せめて時分の身の回りのことは時分で出来るようにという母の思いが伝わってくる。 人とは違う厳しい目に遭うのだからとハルの家族は必要以上と思えるほどの厳しさではるに接した。 その幼少時代の経験が「鋼」のように、人に期待せず、時分を律し高めることに終始する強い性格を形作った。 
 瞽女時代の苦労は筆舌に尽くし難い。 苦労の中でも彼女は品性と誇りを失わない。 驚異だ。
 私自身も視力がない視覚障害者だ。 有り難いことに今やPCを使って盲目でも本を読み、買い物が出来る世の中になった。 苦労が少なくなったのは幸せなことだが、ハルさんの生活より進化したとは思えない。 なにしろ私は蝋燭から線香に火を移すこともままならないのだ。
この歳にしてこの本より多くのことを学ばせてもらった。 根気強く取材し書き上げてくれた著者に感謝したい。