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アンネの日記―完全版

価格: ¥1,650
カテゴリ: 単行本
ブランド: 文藝春秋
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 『アンネの日記』が最初に世に出たのは1947年。そして91年に、47年版でカットされていたアンネの人間味あふれる記述(鋭い批判精神や性のめざめ、など)を復活させた「完全版」が出版された。この「増補新訂版」は、98年に新たに発見された5ページ分を加え、翻訳資料をさらに徹底させたもの。まさに「アンネの日記・決定版」といえる。

   イラク戦争を目の当たりにした今、本書が単なる歴史の記録でないのは明らかだ(2003年4月)。戦争に突き進む不寛容、抹殺される恐怖、惨めな状況でも楽しみを見つけようとする人々。アンネが日記に向かっていた60年前と、今日の世界とでは、どれほどの違いがあるというのか。14、5歳の少女が、ここまで世界と人間の「変わらぬ姿」を浮き彫りにしたことに驚くほかはない。「どんな不幸のなかにも美しいものが残っている。美しいもののことを考えれば、しあわせになれる」というくだりは、とくに胸を打つ。このおしゃまな少女は、他人の痛みを知るといった経験をとおして、豊かな大人の女性にまちがいなく成長したはずだ。その可能性をあっけなく、不当にも奪う戦争。『アンネの日記』は私たちの視線を、アンネの世界を越えて人間の愚かしさへと向ける。(小林千枝子)

翻訳者を変えてほしくなかった。 ★★★★☆
お恥ずかしながら、37年生きて来て「あまりに有名な少女の日記」があることをつい最近知りました。その内容にグイグイ引き込まれ、喰い入るように読みふけりました。世界中で読み継がれているだけあって、相当に考えさせられる、そして胸を打たれる内容で、最後には泣きました。

ただ、翻訳者について書かれているレビュアーの方もみえますが、私も同じようなことを感じました。
本書は少々難しい言い回し、ことわざ、四字熟語が多すぎるような気がします。皆藤幸蔵氏が翻訳した「アンネの日記・愛蔵版」も同時に買って、たまに翻訳を比べたりして読んでいましたが、皆藤氏の翻訳のほうが少女の日記らしく、しかも率直に訳されているような感じがして読みやすかったです。

内容的に素晴らしい書物に全く変わりはありません。ただ、辞書を片手に読まなければなかなか理解しにくい部分も多くあり、小学生や中学生にとっては少々難解な翻訳になっているのではないかと正直感じました。

本書に感銘を受けた私は、当時隠れ家の8人をずっと助け続けた生存者、ミープ・ヒースが書いた「思い出のアンネ・フランク」も購入しました。
大人、子どもに限らず、世界中の、そしてできるだけ多くの人に読んでほしい本です。
隠れ家の日々 ★★★★★

昨年、アムステルダムにアンネの家を訪問した。
原題「後ろの家」の通り、運河に面した細高い建物の奥にある。
本書では、ここで過ごした2年1ヶ月の日々が綴られている。
8人の同居人と5人の支援する人たちとの日常。

アンネの生涯は13歳までは裕福さと満ち足りた暮らしがあった。
日記では13歳から15歳にいたる1少女が自分の言葉で語っている。
おとなの打算や、政治性、見栄も、虚飾もない言葉である。
13歳のわがままな1少女が2年間で、忍耐強さと献身を学んでいく過程がある。
そして捕らわれる3日前で日記は終わる。
それから半年後、アンネはこの世を去る。

この狂気の支配していた時代は、決して中世ではない、つい65年前である。
なぜユダヤ人が迫害されたのか、巨大なイデオロギーと民族の歴史に何かあるのか。

しかし、それよりもアンネが2年間で学び、そして遺したものは、かけ替えもなく貴重である。
すなわち、どのような苦難に満ちた暮らしであっても、そこから学ぶものがあり、混乱と極限の中を生きるときも、希望を失わず、精一杯優しく、そして回りへの愛を持ち続けること。

時代の中の一時の権力におもねり、権威を振りかざし残虐さ、利己を求める人々、無関心を装う人々の一方で、ひたすら優しく、弱い立場を守り、献身的に、健気に生きる人たち。
アンネは、この日記を公開することを目的には書いていない。だが、読者に対して「あなたならどのような生き方を選択しますか?」と静かに問いかけている。




死んでからもなお、今も生き続けるアンネ・フランク ★★★★★
今や知らない人がいない「アンネの日記」。ナチスの非道とともに、ユダヤ人犠牲者の痛ましい物語として、わずか15歳で命を落とした少女の日記として、あまりにも有名です。2年にもおよぶ隠れ家での8人の生活は、ラジオから得られる情報だけで、それは耐えがたい苦難に満ちたものだったようです。

思春期にさしかかたばかりの、とても少女の日記とは思われない洞察です。同居人に対する観察、心理描写も記されていて、とても大人びた記述に驚かされます。ユダヤ人であることで、その異質さゆえに嫌われ、不幸な体験を強いられることの不条理。それでも、明るく夢に生きようとするアンネ。ひたすら戦争が終結して、開放される日を待ちわびる隠れ家での生活。その願いが、みごとなまでに描かれているノンフィクションであり、永遠に忘れてはならない名作であると思います。

「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! つまらない人間で、一生を終わりたくはない・・・」アンネの残したそのことばは、正に願い通りのものとなり、日記を書きつづった隠れ家を訪れる観光客は、今も後を絶たないことからも明らかです。

いまこのときも、戦火を逃れて怯えて暮らす人々のことを忘れてはならない。そんなメッセージを、今日を生きるわれわれが共有できるのも、アンネが私たちの心の中に行き続けている証であると思わずにはいられません。人のために働くとの大切さ。アンネの語るこの言葉にも、われわれの忘れている、大切なテーマがあるのではないかと、考えさせられました。

アンネの願いはある意味においては成就した。 ★★★★☆
ヒトラーとナチスの犠牲になった人々は膨大な人数に及ぶものと思われますが、その中で「最も有名な犠牲者は誰だ?」ということになると、おそらくは彼女になることでしょう。

アンネ・フランク・・・・・。
生前の彼女は決して人類の未知を究明したわけでもなく、多くの人の役に立つ発明をしたわけでもなく、それどころかどこにでもいるようなちょっと生意気でお喋りで、好奇心が旺盛な「ごくありふれたユダヤの少女」でした。

けれど彼女の生まれた時代自体がユダヤにとっては逆風の吹き荒ぶ時代でした。
アーリア人至上主義を掲げ、ユダヤを劣等民族とみなす男が政権を奪った瞬間から、欧州においてのユダヤの受難が幕を開けるようになる。
迫害は最初は小さな事から。そして徐々に露骨なものとなっていき・・・多くのユダヤの家族たちが街から突然連れ去られ強制収容所へと連れて行かれるようになる。

先行きに不安を見ていたユダヤ人たちは早めに欧州を脱出し、米国を始めとした他国に亡命をしましたが・・・亡命だって無料(タダ)じゃない!ってわけで、そこまで出来ないユダヤ人たちの多くは地下に潜って、只管に戦争が終わることを待ち続けたのだ。

アンネ一家もその地下に潜った面々の中のひとつなのですが、彼女たちが特異だったのは「家族ごと隠れ家へと移り住んだ」点だったそうです。非常に珍しいケースらしい。

アンネは13歳の誕生日に贈られた日記帳に「キティ」という愛称を付けて、自身の心情を書き連ねることで「己の内面との対話」を繰り返したのです。丁度思春期の入り口に立っていた彼女にとってその事と「隠れ家に移り住み、家族と他の人たちとの共同生活を始めたこと」が人格を成熟させることに多大な影響を与えたと言われます。

それが後にアンネの死後に発表された日記の内容が13〜14歳の少女が書いたものとしては「あまりにも大人びている」として真贋論争や、替え玉作者説等を生み出すことになったのですから皮肉な結果だと思います。

隠れ家には八人の住人がいましたが、アンネも当初は他の人たちと反発ばかりを繰り返し、他の方に対する不満や批判を日記に書き連ねていました。
隠れ家の自分以外の人間でアンネが圧倒的に好きなのはまずは「お父さんのオットー」。
そして後に初めてのキスをすることとなる最初で最後の恋の相手ともいえる「ペーター」。
この2人だけ・・・と言ってよい状態。後は自身のお姉さんである「マルゴー」がまあ普通かというくらいで、残りの面々はお母さんも、ペーターの両親も、歯医者のデュッセルさんも大嫌いという程に嫌っていて、生意気と思えるほどの態度を取り続けていました。

そのアンネが日々の暮らしの中で意見をぶつかり合わせ、対人においても日記においても対話を重ね、また時に外界で起きている多くの同胞の悲惨な事件を知るたびに、まず人の話をきき自分の意見を持ち、落ち着いて考察が出来るようになっていく変化が見て取れます。

アンネの死後に父・オットーによって出版された日記は「他の人を批判した部分」や思春期における少年・少女が当然のように興味を持ち話題とする「性に関する部分の描写」等は削除されていて、完全な日記が読めるようになったのはごく最近のことだそうです。

アンネたちが何者かの密告により摘発されたとき、ドイツ軍は欧州においても敗戦を重ね、最早ユダヤ人対策に多くの時間も人員も割いている場合ではなかったのですが、密告があったからには当局としても無視するわけにはいかず、終戦間近になってアンネたちは強制収容所送りになることとなりました。

八人はバラバラに別の場所に移送され・・・飢えや病気や絶望によって僅か半年ほどの間に次々とその命を絶たれていきました。アンネは姉のマルゴーと同じ収容所に送られたのですが、そこで再会したかつての同級生であった親友にすら「絶望してしまって、かつてのおませなアンネは何処にもいなかった」とまで言われるようになってしまった。
アンネの姉のマルゴーがチフスが原因で死亡したとき、別の場所にいた父のオットーはすでに解放されていた・・・・。1番大好きだったオットーが生きているともしもアンネが知っていたならば、彼女の心に「生き抜こう!」という強い気持ちが芽生えたことだろう。
けれど「自分がこの世の中で一人ぼっちになってしまった」と絶望した彼女は姉の後を追うようにして終戦まで残り二ヶ月程を残して姉と同じチフスによってその命を絶たれることとなる・・・。

彼女は「チフスが原因で死んだ」のではない。彼女は「絶望によってその命を絶たれた」。
収容所という「ナチスの歪んだ人種感がこの地上に作り上げた地獄」は、気が強く勇敢で前向きなアンネの魂ですらも挫かせるような筆舌に尽くし難いような環境であったことが判る。
人の狂気が戦争によって拡大され、「これほどの悲惨」を許容させるのかと思うと背筋が寒くなる思いだ。

最後に慰めにもならないが、たった一つだけ叶った「アンネの願い」を記しておこう。
アンネは前述のように「お父さんのオットー」を大好きだった。
それは「たとえ自分が不幸になり死んでいったとしても、お父さんだけには生き延びて幸せになって欲しい」と願うほどの強い特別な感情であった。

戦後、隠れ家のメンバー八人の中で唯一の生存者が「その父のオットーだった」!
・・・これは単なる偶然だろうか?
アンネは劣悪な環境の中で夢も家族も希望も奪われて、絶望のうちに死んでいった・・・・。
が、アンネの「最も叶って欲しい願い」はある意味、実現したのだ!
そしてその父の手によって隠れ家での彼女の日記は世に広く公開されることとなる。

これが「運命(さだめ)」ならば、彼女が召された天国に「父の姿がないこと」を確認した後に、彼女は最後の最後で「心の底からの笑み」を浮かべることが出来たのだと心に強く信じたいのだ。
初めて読むならこの本を! ★★★★★
アンネの日記には日々を書き綴った日記と更にそれを本人が清書・追加した改訂版の2つが存在します。
しかし両方とも完全な形では残っていないため、完全オリジナル版は世界中のどこにも存在しません。
「アンネの日記」というのは父親のオットーによって改めて編集されたものなのです。
ですから「完全版」とは言っても彼女の言葉一字一句を再現したものではありません。
それらを踏まえたうえで、この完全版は「アンネの日記」を初めて読もうとする方には、とても読みやすく最適な本だと思います。
密告により連行される日の3日前で日記は終わります。
日記を読み進めアンネの心を覗いた後に、彼女の15歳の短い生涯を考えると身につまされる思いがします。