西脇順三郎は「オーベルジンの肖像」という文の中で、本書の「蛇:ながすぎる」という一節を取りあげ、「ポエジイとは、「蛇:ながすぎる」ということがポエジイであるか否かを論ずることをやめることである」ということから、そのポエジイ考を始めています。なるほど、名言。
そうした点で、まさにエッセイでもあり図鑑でもあり詩集でもあるこの本を解説することは不可能ですから、二つ三つの文を拾い読みすることにしましょう。いささかロマンチックに流れがちなところ、そして出来の粗密もありますが、パラパラとめくっては、ボナールの挿絵とともに100年前のフランスの機知を愉しむのも悪くない取り組みではないでしょうか。
《鳥のいない鳥籠》
僕のお蔭で、そのうちの少なくとも一羽だけは自由の身でいられるんだ。
つまり、そういうことになるんだ。
《樹々の一家》
私はもう、過ぎ行く雲を眺めることを知っている。
私はまた、ひとところにじっとしていることもできる。
そして、黙っていることも、まずまず心得ている。
《蟇(がま)》
「なあ、おい、蟇君・・・、どうみても君は不細工だね」
「じゃ、君はどうだい?」