やはり、信頼のおけるライターだ。
★★★★★
世界ではサッカーと政治、宗教、民族、人種が密接に絡みあい、切り離すことのできない関係にある国が多い。というか、そうではない国の方が少ないのかもしれない。これらの視点からサッカーを捉えたルポは、海外のジャーナリストによってかなりの数が発表されているが、わが国において、こういった視点で作品を発表し続ける人物は、著者くらいなのではなかろうか。しかも、その出来は海外作品に引けを取るものではない。
海外作品の多くが報道機関の記者的な高みからの目線で描かれているのと対照的に、著者の作品は、その数少ない作品で度々主張しているように「町のニイちゃん」の目線で描き続けていた。
この姿勢にブレがないので、私は木村元彦というノンフィクション・ライターを非常に信頼している。
だから、この作品も溝畑への興味というよりも、著者木村元彦の名前で手に取った。
私は熱心なサッカーファンでもなく、トリニータにはまったく興味がなかったので、何故、著者が溝畑氏について一冊の作品を書いたのか、よく分からなかったのだが、読み始めてすぐに木村元彦が書くべき作品だと感じた。
そして、彼以外のいわゆるスポーツライターと称する人たちにも、サッカーに興味のない経済評論家的に人たちにも書けないだろうということも思った。
当たり前の話だが、この作品の舞台は日本であり、かつ、トリニータの経営者であった人物の周辺に起きた出来事を追うという取材ということもあってか、さすがの著者も町のニイちゃんの目線ばかりでいられないようだが、だからといって高みからの目線では書いていない。いつものとおり、その目線は忘れず溝畑という人物の功罪について公平な目線で書いている。
本書の中でも触れられているとおり、著者は07年発表の「蹴る群れ」という作品の中で、トリニータ、そして溝口に対する危惧を記しているが、本書読了後、この作品を読み返してみたところ、それが見事に当たっていることに驚いた。
本書は、トリニータの経営破綻後、あまり時をおかずに発売されたが、前述の「蹴る群れ」を読むと、取材期間は00〜06年と記してあった。経営破綻による社長解任という結果となってしまったが、トリニータ(溝口)に危惧を持ち続けた著者には、この作品を書く資格があると思う。
著者のことだ、サッカーを離れた溝口氏に関するルポは発表しないと思うが、トリニータはこれからも追い続けるだろう。著者はその責任感を持っているに違いない。
綺麗事ばかりじゃない
★★★★★
溝畑氏は「大分にW杯を招致したい」
「県民に愛されるサッカーチームをつくりたい」
との一心でひたすらにつきすすむ。
そして実際に夢をかなえる・・・。
これからも彼の業績は大分で光の如く輝くのだった。
↑
通常の夢見がちな成功本であれば、以上の様なストーリであろう。
しかし、本書に書かれているように、夢の実現のためには、綺麗事
ばかりですまない現実がある。
夢を叶える為には、
・尻を出し、陰毛をもやしてスポンサーを接待しなければいけないし、
・嘘をついて、他県を出し抜き、W杯に立候補しなければいけないし、
・怪しいスポンサーでもひっぱってこなければいけないし、
・私財1億円をクラブ運営に投下しなければしけないし、
・前知事と自分を重ね合わされ、否定されなければいけないし、
・妻と離婚しなければいけないし、
等々、その大半は泥臭く、人間的で、馬鹿馬鹿しさの極みばかりである。
そして夢を叶えたとしても、一度ミスをすると、その恩恵に預かった人たちからも、
ボロクソにいわれ、最後には放逐され、すべての功績が疑念に変わる。
本書を読むと、「夢を叶えるために、我武者羅になること」が馬鹿らしく思えてくる。
これならば、数多いる外野、批評家達と同じように、我武者羅にやるものを揶揄し、足を引っ張り、
批判することがどれだけ楽だろうと思う。
しかしながら、実際に「大分トリニータ」というサッカーチームは存在する。
そして、そのチームに価値を感じている人たちがいる。
その事実だけで、溝畑氏の功績は十分に評価できると思う。
何かを我武者羅に成し遂げた人に、もう少しやさしい国であって欲しいと切に願う
知っておきたい真実
★★★★☆
もしJリーグチームが一般の会社だったら、9割が倒産していると言われる。なぜそれでもほとんどのチームの首がつながっているのか。この本はそんな「リアルサカつく」の裏側をに迫った作品。大分トリニータを日本一にするために奔走した元社長が、奮闘した末に得たものと失ったもの。代表の活躍で盛り上っている今だからこそ、知っておきたい真実がここにある。
大分トリニータを創った男、破天荒な自治官僚・溝畑宏の半生記ルポ
★★★★★
現在J2に属するサッカーチーム、大分トリニータ。この本はそのトリニータを創った、
当時の自治省から大分県に出向していた溝畑宏氏の半生記です。
分量は239ページで、所要は2時間程度、五章構成です。
内容は、大分県庁の溝畑氏が地域のため、W杯の招致とサッカーチーム結成を思い立ち
スポンサーを集め、数々の危機を乗り越えながらチームのJ1昇格、
ナビスコカップ優勝、そして社長を辞めるまでのルポルタージュです。
全編を通じて、溝畑氏のずば抜けた営業力や突飛な行動が丁寧に記されています。
また、随所に氏の講演内容や、県の融資に懐疑的なオンブズマンの意見も挿入されており
できるだけ広い立場から氏を記録し、分析しようという著者の意図が読み取れます。
常人では計り知れない氏が最終的に行き着く先はどこなのか。
果たして、氏のぶっ飛んだやり方は保守的な官僚機構で通用するのか。
大分トリニータ、観光庁とともに、今後の氏の行動に注目したいと思いました。
大分トリニータの存在意義とは?
★★★★★
メディアで報道されていることに、汚染されていた。
違和感だけは、感じていたものその違和感が何なのか検証もしたことはなかった。
その違和感が、この本を読むことで少しなりとも理解できたように思う。
木村氏の著作はいつも心をえぐられるようなものが多い。
この本を読んだ自分の一番の感想は、
「結局、置き去りにされているのは誰なのか?
それは地域住民であったり、サポーターであったり、選手・監督だったのではないだろうか?
誰のために、何のために、それが最優先であるべきなのに」
というものである。
大分FCは存続している。
今一度、志を取り戻すためには、その置き去りにされた人たちが自分たちで取り返すしかないだろう。