脳研究とアートをつないだ刺激的な書。近年進展著しい脳損傷事例研究や画像研究の成果を取り込んだ科学的なアプローチで、絵画や彫刻の創作や鑑賞のメカニズムを解析する。著者は、ロンドン大学で神経生物学を専門とする大学教授。1960年代の終わりから、視覚情報処理過程の生理学的、解剖学的研究を続け注目されているこの分野の第一人者である。
3部立て21章という大部の本書で著者は、フェルメールやミケランジェロ作品の魅力の本質である「曖昧さ」に迫り、「形を本質的な構成単位に還元する」ことを追求したセザンヌやモンドリアンの芸術行為を脳科学理論で説く。
もともと芸術鑑賞を趣味とし造詣も深い著者が、自身の研究を美術と結びつけたのは、キネティック・アートの分野がきっかけだった。この分野の代表的作家アレキサンダー・カルダーの動く彫刻作品モビールを、脳内の視覚をつかさどる「視覚野」の機能と照応させながら論じた章は、一般的にもわかりやすく読みやすい。これは、すでに「ブレイン」誌に発表し、反響を呼んだ共著の論文「キネティック・アートの神経科学」を土台に、さらに発展させたものだ。
また、モネの「ルーアン大聖堂」の連作について論をすすめた最後の章では、「速やかに通り過ぎていく印象を描いた」とするこれまでの美術史の定説を覆し、この連作を印象派よりは、フォービズムの最初の作品と位置づけていて、スリリングでさえある。
著者は一方で、未解明な点の多いことも明らかにしている。たとえば「私たちを感情的に混乱させたり、高揚させたりする作品の力とは何か」という、現時点ではまだ未解明の問題がもし脳科学で解明されたなら、コンピュータアートは飛躍的に発展するだろう。そんな期待を抱かせもする。
巻末に付された索引と詳細な引用文献だけでなく、豊富な図版がどれも美しく、つい手にとってみたくなる。脳の科学的な写真までが、いつしか美術作品に見えてきてしまうほどだ。そんな図版の魅力が本書の間口を広げ、脳科学の専門書でありながら、美しい美術の本としても多くの読者に開かれている。(中村えつこ)
発生の謎
★★★☆☆
視覚脳と美が実は等価である、というような議論は、感覚的には共感されるものだ。
しかしながら、本書をもってしても −Zeki自身は答えを持っているのかもしれないが−
結局 、ならばヒトの脳はなぜ美が世界に存在することを知って発生したのか? ということは解らなかった。
翻訳が生硬なのか原文がくどいのか? 読み進めるのはかなり苦労する。
特に解剖学的、生理学的事実の文献上の基本的叙述を引用するところでたどたどしさが拭えない。
記述が重複する箇所、迂回する箇所が目立つ。
失礼を承知で書けば、おそらく大脳生理学者である著者が自明としていることが、
知らない人々(訳者グループ、全ていわゆる文系の心理学畑の人々と思われる)にとっては自明ではないからだと思う。
脳科学と美学のスリリングな融合
★★★★★
脳科学と美学の融合を試みる画期的な書。
全編カラーで、訳もこなれており読みやすい。
脳科学的には、「ものを見る」というのがどのような活動なのかが分析されている。
これまでの「目でものを見て、脳で情報処理する」という考えを否定し、「ものは脳で見ている」と主張する。
そして脳の各部位によって、色、傾き、動きなどに固有に反応する。
しかし、こうした脳科学の最新の見地は、実は画家によって経験的に知られていたのだ。
画家は知らず知らずに、脳科学的に見れば最善の構図であるような絵画を作っている。
そしてミケランジェロやフェルメール、モネなどの絵画の魅力・特色を脳科学的に分析していく。
個人的には、モネの連作『ルーアン大聖堂』を一箇所に集める企画はいつかやっていただきたいものである。
さて本書は、全体としては脳科学を前提とした美学へのアプローチということになっている。
しかしこれは、科学によって芸術を飲み込んでしまうのではなく、むしろ逆に科学の限界性と芸術の本質性が現れているように思われる。
なぜなら、脳科学がつい最近にならねばわからなかったことを、画家はとっくの昔に経験的に知っていたのだから。
このことは、科学的にはわかっていない経験的な知識の重要性を明らかにしていると言える。
科学は、おそらく画家のはるか後ろを追いかけることしか出来ないだろう。
素晴らしい試み
★★★★★
脳の機能や構造を現した書籍はいくつもありますが、
芸術と脳との関係を脳科学・神経科学で現したものは珍しいです。
更に、研究者にありがちな「自分が全て知っている」といったものもなく、
現時点でわからないことはわからない、と慎重に解説しています。
リチャード・ドーキンスにより提唱された、
人の創造物はすべて遺伝子による延長型である「延長された表現型」、
ということが芸術でも明らかになったといえます。
本書は絵画・彫刻と視覚脳についての関連に留まっていますが、
音楽と聴覚脳、料理と味覚脳、香水と嗅覚脳、造形物と触覚脳など、
5感のすべてについて脳との関連を解き明かして頂きたいと思います。
そのうえで、5感すべての脳内関連をも解き明かして頂きたいと思います。
そうすれば、心理学者のハワード・ガードナーが提唱する「多重知能」が脳科学・神経科学で検証されます。
これからも著者の研究活動を応援したいと思います。
美術と脳が同じとは!
★★★★★
美術と脳はじつは同じようなものだという、考えてもみなかった論を証明していく。もうちょっと厳密にいうとこんな感じ。「美術画家は美を追い求めるときに、余計なものを捨て去る。脳もまったくこれと同じことをしている」
つまり、脳は「印象」を情報としてストックし、本質(プロトタイプ)をつくりあげていく。同じように、画家は脳の中のある風景の「印象」を、カンバスに反映させていくのだと。
とくにおもしろかったのは、線というものを脳がどう捉えているかの話。
脳の新皮質に視覚野や聴覚野などの領域があることはよく知られている。でも、さらにその視覚野の中に、たとえば斜め22°の角度の線にだけ反応する細胞とか、赤40%緑30%青65%の色だけに反応する脳細胞とかがあることはあまり知られていない。秒針が時を刻むのを見つめるとき、脳の中ではそれぞれの角度担当者がつぎつぎバトンタッチしていくらしい。それが連続した映像になるというのだから、脳の精緻さといったらない。
また、人間は斜めの線よりも、水平や垂直の線のほうがよく見えるらしい。となると、モンドリアンがなぜ斜線ではなく垂直線や水平線のみで描いていったのかも、故なしとはならないだろう。
脳科学と美術というふたつの分野にまたがっているけれど偏りはなし。著者は脳科学のほうを専門としているが、そうとう美術への造詣も深い(謙遜はしている)。こんな著者だったから、こうした本も書けるということか。
読みやすさはピカいち、シロートでも大丈夫
★★★★☆
著者はまえがきでこう定義する。「美術の機能は脳の機能の延長であると考えている。すなわち美術は、絶望的なまでに素早く飛び去って行く瞬間を捉え、それを永遠のものとして、私たちにその知識を与えてくれるのである。」と。この言そのものが十分に詩的かつ美的で読みごたえを感じさせる。
内容は、脳の「視角」部分が絵画のいろいろな側面をいかに捉え、それを見る人間がどう認識するかという経路についての解説だ。それは必ずしも絵の構成や色彩にとどまらず、たとえばフェルメール作品の曖昧さがかもし出す魅力、脳内に蓄えられた視覚的記憶に対するマグリットの挑戦などまでも含まれる。
特にキュビスムに関する分析は、あまりこういった傾向の絵が好きじゃなかった私にとっても面白かったし、直線、平行線、各種の図形認識についての項は、かなり好きなマレーヴィチ、モンドリアンなどが取り上げられているので興味深く読めた(でも、何でここまできてクレーがないんだ?)。
副題にある「ピカソやモネがみた世界」という点については、「実はモネはある種の色覚異常だったのではないか」という仮説が立てられていてスリリング。モネのお好きなかた、ルーアン大聖堂のシリーズを思い出してね。さあ、何か気付いたことがありますか?
何はともあれ、この本のすごいところは読みやすさにある。図版は全てカラー。そりゃ美術を取り扱うのだから当然だろうと言うなかれ。脳に関する図版もカラーが使われていてとてもわかりやすい。それに翻訳もとてもいい。垣添氏という方は医薬翻訳家ということだが、こういったアカデミックな翻訳にありがちな英文和訳調ではない、まともな日本語に置き換えてくださっている。お仕事ご苦労さまでした。こういう翻訳書が増えて欲しいなあ。つくづく思いました。