「漢江(ハンガン)の奇跡」――韓国が解放後30年間に果した驚異的な経済成長を、世界の学者たちはこう表現した。この奇跡をもたらしたものは何であったか? 本書は、1970年代に「驚嘆する劇的な変化」を目の当りにしたアメリカ人研究者が「その現象の歴史的背景」を、一切の予断と偏見を排して解明した「韓国社会経済史」である。
韓国の一般的学説は資本主義の「萌芽(メンガ)」を李朝時代に求める。17世紀に芽生えた朝鮮の資本主義は、十分に成長する前に外国の圧力にさらされ、そのため日本の経済進出に耐えきれず、1910年の日韓併合による植民地化によって、1945年まで大きく抑制されていた、というのが、朝鮮半島の南北を問わず、堅固に定着した学説である。この説は「戦後史観」に立つ日本の歴史学者にも堅く信じられている。しかし、本書は「彼らの研究においては、論理より日本の行為を弾劾することで得られる感情的満足のほうが重要視されているようだ」と直言してはばからない。
1969年に平和部隊の一員として韓国に来た著者は、朴政権下で絶頂期を迎えた近代化推進の姿に驚嘆し、その歴史的背景に興味を抱く。そして東アジアと朝鮮半島の歴史研究に没入していくのだが、その結果知ったのは「資本主義の萌芽が李朝にあったという事実が重要となるのは、偏狭なナショナリズムを正当化するときだけである」ということだった。
いわゆる「萌芽派」の歴史家たちが用いている証拠はむしろ、彼らが無視する「空白期」、すなわち1867年の「江華条約(日朝修好条約)」による開国から1945年の解放にいたる期間こそ、社会経済史家が本格的に論じるべき時代であることを教えていた。そこで、著者が研究の焦点を向けたのは、韓国資本主義の象徴的存在である「京城(キョンソン)紡織株式会社=京紡(キョンバン)」とその創業一族「高敞(コチャン)の金一族」の歴史である。それは、「京紡は朝鮮史上初の朝鮮資本(かつ朝鮮人経営)による大規模な企業」であり、そこに「人間的なレベルでの韓国資本主義の起源と初期の発展を探ることができる」と考えたからに他ならない。そして著者は、同社に残された豊富な記録文書を精査し、日本が「圧政者であると同時に社会経済の変化の推進者」だったことを立証していくのである。(伊藤延司)
韓国の発展の起源
★★★★☆
別に日本が善政をしいたという話ではまったくない。所与の条件を利用して、成長した朝鮮人資本家がいるという話だ。しかし、現在の日韓関係を考えるさいに、朝鮮人にも広く読んでほしい。
@日本の植民地支配は朝鮮人のプライドを傷つけた
Aしかし、日本により、朝鮮が資本主義化・近代化した部分はたしかにある
B現在の韓国は発展しており、韓国人自身が、国の発展にはプライドをもっている。
C近代化にともない(さらには、日本が戦争状態だったことも加わって)個々人の人生に悲劇がおこったことはある
学術的意味を別としてこの書物が現在の日韓関係に意味があるとしたら、現在の韓国人が@Cを強調し、とくにCについて、近代化の過程でどこの国でも同様のことがあった点を見ないですべてを日本の植民地支配のせいにしている点につき、多少は反省を迫るかも知れない点だ。
反省とはつまり、BのルーツにはAがあることと、近代化には必然的に影の部分もあることについて、冷静に理解することだ。さらには、日本が植民地支配しなかったら、朝鮮半島はどうなっていただろうかという点につき、想像をめぐらせることができれば、十分といえよう。
別に@の点を無視しようと言いたいわけではない。だが、朝鮮人の側が歴史に誠実に向きあう姿勢と反省がなければ、日本が何度謝罪しても、両国関係がこれ以上発展することはない。というよりも、日本の側からは、別に発展させる必要も無い、とクールに語る人々が増えている。
日韓の違いは平安朝後期から始まっている
★★★★★
15世紀の朝鮮、ハングルを作った国王世宗の治世。中国で貨幣が流通していることを知った世宗は、中国から貨幣を輸入して、「貨幣を使わない者は処罰する」という法律まで作って貨幣を流通させようとしたが、結局失敗している。それは農民と官僚が主体の社会で、物々交換が行われていたからである。(世宗実録より)
12世紀の日本、平家の治世。平清盛は周囲の反対を押し切って、中国から貨幣を輸入して流通させようとしたら、爆発的に大流行したという記録が残っている。世宗と清盛を比較する人はいないが、やろうとしたことは全く同じである。(山本七平「日本人とは何か」より)
15世紀の世宗の治世。朝鮮から役人が来日して、漢文の見聞録を書き残している。それによると、当時の日本(室町時代)は社会の隅々にまで貨幣が浸透していて、乞食でさえ米を欲しがらず金をほしがる様子に驚いている。さらに有料の宿屋、渡し舟、馬まで用意されていて、日本では金さえ持っていれば旅ができるので驚いているのである。(老松堂日本行録より)
17世紀、江戸時代初期の日本。米などの物資が集積するのが大阪で、巨大消費地が江戸になったため、代金をいちいち運んでいては不便で危険であった。そのため、手形で決済する仕組みが成立した。さらにそれが発展して、18世紀初頭には米が収穫される以前に権利を売買しておく、いわゆる先物取引市場が大阪堂島に世界で最初に成立するのである。(NHK出版「マネー革命」より)
19世紀末の朝鮮。イギリス人女性イザベラバードは、日中韓を旅してそれぞれ旅行記を書き残している。当時の朝鮮半島の様子を、ソウルとその周辺で銅銭が流通しているのみであり、地方に行くとそれさえも流通しておらず、物々交換が行われていると指摘している。(朝鮮紀行より)
韓国経済発展の基盤
★★★★★
「韓国の経済発展」というと、どうしても朴正熙以降のことを語ってしまいますが、その基盤は日本の植民地時代に築かれたという指摘は重要だとおもいます。アメリカの学者の底力を感じる著作ですね。
だとすると今の日本は「アメリカ帝国の申し子」?
★★★★★
まず、少なくとも日本の植民地支配を評価する向きで本書を手に取るのなら、それは期待しない方が良い。現実に日本の植民地支配ってのが(李朝時代の身分制度を破壊させたという側面があっても)結局のところ日本本国の利益が目的であるという事実は本書でも繰り返し触れられているし、そのことが朝鮮(ないしは朝鮮人資本家)との軋轢を少なからず生んだことにも紙数を多く割いている。
そうした決して恵まれたものとはいえない環境下で強かに振る舞いながらも成功し、終には海外雄飛(!)まで果たした京城紡織グループを取り上げたのが本書ではあるが、その成長の過程は一種のサクセスストーリーであると共に(同胞であるはずの)朝鮮人を過酷に搾取し今ならさぞかし売国奴呼ばわりされるほどの国策協力という、皮相的な対照を成している。身分制度から解放し実力主義の恩恵を受けた近代化と、民族のアイデンティティーを抑圧した植民地支配、ほぼ同時期に進んだ2つの事象の狭間で矛盾しながら出世栄達していく様を、"自虐史観"にも"自慰史観"にも走らず描き出している。
と、ここまで書いて思ったのだが、こうした朝鮮人資本家を「日本帝国の申し子」と言うなら、今の日本企業も案外「アメリカ帝国の申し子」と言うのは的を射た指摘かも知れない。そもそも戦後の経済復興がアメリカによる朝鮮特需であり、日米同盟の基軸の下で対米輸出で今日の繁栄を築いたとも言えるのだから。さすがにアメリカは日本を植民地支配していない(笑)が、「聖域無き構造改革」を支持した新興の実業家がアメリカ流のネオリベを支持していたのを見るに、先の大戦で積極的な戦争協力を呼びかけて「大東亜建設」への参加を唱えた金性洙と重なって見えてしまうのだが・・・・・
要は、朝鮮半島にも政商がいたというだけで、日本の財閥の嚆矢と変わらない。
★★★★★
李氏朝鮮晩年の貴族:両班を中心とした物が、日本の植民地支配に組み込まれ、搾取の道具と化したことは、ブルース、カンミングス「現代朝鮮の歴史」明石書店刊に書かれていますが、典型的な植民地統治で、日本が自慢するような内容ではないと思いますが、資本主義的発展=近代化がすなわち個人の幸福でないことぐらい、今の日本の現状見ればわかりそうなものですが。
資本主義のゆがみが、日本も韓国も襲っているのだよ!近代化以前の北朝鮮は例外だが。