日本人の良心とは、責任とは
★★★★☆
外国に居住する評者にとって、トヨタ自動車の責任の取り方は、外国人には非常に分かりにくいものと映っています。なぜなら、より多くの事故を起こしている他のメーカーが問題とされず、標的になったトヨタがいとも簡単に謝罪してしまったからです。日本人の責任の取り方を考えるヒントを得たくてこの本をとりました。戦時下の軍人という制約の中で一人の責任をもった日本人としての生き方が余すところなく書かれてます。10万の軍のトップとして、多分、一度も接したことのない部下の戦犯容疑を晴らすため捕虜収容所に自ら入り、全力を尽くす、帰国後は遺族の擁護に尽力するといった今村将軍の慈しみに日本人の優れた資質を見ました。また、冤罪で1000名に渡る軍人が戦犯として処刑されたことを知り、靖国神社の首相参拝について、新聞を鵜呑みにして、戦犯が合祀されているから問題と考えた自分の不明を恥じました。非常に、重い本で、絶えず重圧感を感じながら読み進めました。しかし苦労をしてでも読むべき本です。読了しなければなりません。そんな気持ちにさせる本です。 週末、2晩かけて読み終わり、読後には頭をたれた自分がいました。
本書は戦争の話を書いた本ではないということ
★★★★★
立花隆が本書を推薦している本を読んで 本書を手に取る機会となった。読むほどに打ちのめされる思いがした。
本書は太平洋戦争の際に陸軍大将だった今村を描き出す。本書を読んで「日本軍にも かように凄い人がいたのか」という感想がまず
先に来るかもしれないが それだけでは済まない迫力で迫って来るものがある。今村の話は 終戦後60年を経た現在の僕らにも 痛烈な
自己反省を強いるものがあるからだ。
本書は戦争を舞台とした話だ。但し 戦争の話ではない。戦争は舞台に過ぎない。あくまで 今村という方が 戦争という特殊な状況の
下で どのように「人間」として振舞ったかという話である。その意味では 僕らも僕らなりに「自分の特殊な状況」の下にいる。
「自分なりの戦争」の中で はたして自分は今村と比較して人間としてどうなのか。そういう読み方が出来るところが本書の力であり
今村の普遍性である
勿論 自分を今村と比較するなど おこがましいとしか言いようは無い。それでも 今村の毅然とした態度と哲学に 少しでも
自分の状況を重ねながら読むことが 本書を読む正しい読み方ではなかろうか。僭越ながら そう思った次第だ。
繰り返すが本書を戦争の話だと思って読むべきではない。むしろ 一種の宗教書に近い気分で読むべきではなかろうか。そんな衝撃力
がある一冊である。
尊敬する陸軍大将の一生をきちんと書いてくれた名著。
★★★★★
我が尊敬する帝国陸軍大将の今村均伝としては、ご本人の回顧録の他には土門周平氏、秋永芳郎氏、日下公人氏、そして角田房子氏が書いているが、私は角田房子氏の本書が最も好きである。(今回は敢えて古い1987年7月新潮文庫版を読んだので、本来は本書ちくま文庫版にはレビューを書かないのが私の流儀だが、本書だけは特別に投稿した。)本書の特徴は、終戦のラバウル、バタビア、マヌス、そして世田谷区豪徳寺の戦後23年の今村将軍の生き方が特に丁寧に詳述されていること、先妻銀子と後妻久子のことを詳しく触れていること、著者ご自身が今村将軍と縁ある多くの方々との面談内容を記していること、著者ご自身が今村将軍の足跡を追って現地を訪れ記述していること、これらは本書今村均伝を更に内容豊かなものにしてくれた。私が何故に今村将軍を尊敬するか。やはり真のリーダーとして完璧な人物で、圧迫・圧政が当たり前の日本軍南方施政の中で理想的な軍政を行なった唯一の司令官であること、将兵の命を粗末にせず自給自足体制を確立し、10万の兵を無事に帰国させたこと、戦後の部下が収容されるマヌス島への移送嘆願、釈放後も遺族・部下の為に日本国中奔走する元大将の姿、これらは他の陸軍幹部にはいない。陸士19期は元々幼年学校出は採用せず、一般の中学出身者であるところがいい。陸大で首席であった今村将軍を含めて陸士19期は5名の大将を輩出したことでも有名であるが、人間として最も円熟したのも今村大将である。今村均回顧録、続・今村均回顧録と共に本書は何回でも読み直したい1冊である。
尊敬する陸軍大将の一生をきちんと書いてくれた名著。
★★★★★
我が尊敬する帝国陸軍大将の今村均伝としては、ご本人の回顧録の他には土門周平氏、秋永芳郎氏、日下公人氏、そして角田房子氏が書いているが、私は角田房子氏の本書が最も好きである。本書の特徴は、終戦のラバウル、バタビア、マヌス、そして世田谷区豪徳寺の戦後23年の今村将軍の生き方が丁寧に詳述されていること、先妻銀子と後妻久子のことを詳しく触れていること、著者ご自身が今村将軍と縁ある多くの方々との面談内容を記していること、著者ご自身が今村将軍の足跡を追って現地を訪れ記述していること、これらは本書今村均伝を更に内容豊かなものにしてくれた。私が何故に今村将軍を尊敬するか。やはり真のリーダーとして完璧な人物で、圧迫・圧政が当たり前の日本軍南方施政の中で理想的な軍政を行なった唯一の司令官であること、将兵の命を粗末にせず自給自足体制を確立し、10万の兵を無事に帰国させたこと、戦後の部下が収容されるマヌス島への移送嘆願、釈放後も遺族・部下の為に日本国中奔走する元大将の姿、これらは他の陸軍幹部にはいない。陸士19期は元々幼年学校出は採用せず、一般の中学出身者であるところがいい。陸大で首席であった今村将軍を含めて陸士19期は5名の大将を輩出したことでも有名であるが、人間として最も円熟したのも今村大将である。今村均回顧録、続・今村均回顧録と共に本書は何回でも読み直したい1冊である。
マッカーサーをも唸らせた真のサムライ
★★★★★
本の内容のあらましについては、↓を参照http://www2s.biglobe.ne.jp/‾nippon/jogbd_h10_2/jog046.html
部下に慕われ、敵味方を問わず周囲の人々全てを惹き付け、「聖将」と謳われた帝国陸軍軍人・今村均の全生涯を扱った伝記。
日中戦争(支那事変)における南寧作戦や、太平洋戦争初期におけるジャワ軍政、ラバウルでの持久態勢の構築など見所は多いが、圧巻はやはり敗戦後の戦犯裁判・戦犯収容所における今村の活躍ぶりであろう。卓越した情勢判断、抜群の弁論・交渉力、圧倒的な統率力、何よりも部下たちに対する無限の責任感。人の上に立つものはかくありたいと思う。
筆者は努めて冷静に今村の実像を捉えようとしており、手放しで賞賛しているわけではない。支那事変の際に不拡大方針に従わず、大東亜戦争(太平洋戦争)を肯定する今村に帝国陸軍軍人としての限界を見る。筆者の今村批判は、時に「酷な注文」に思えるほどである。だが筆者は「指揮官であった軍人のほとんどが、多かれ少なかれ部下たちを危険にさらしただろうが、その中の誰がここまでの責任を感じただろうか。今村は敗戦のラバウル以来、ただその罪責だけを見つめ、それを日常の行為に現して生きてきたのである」と総括しており、太平洋戦争に批判的で帝国陸軍に負のイメージを持つ戦後民主主義を生きてきた人間をも魅了する人徳を今村が持っていたことは疑いないであろう。