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昭和の名将と愚将 (文春新書 618)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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日本陸海軍の高級軍人は戦前・戦中・戦後をどう生きたか ★★★☆☆
太平洋戦争関係のノンフィクションで知られる半藤一利・保阪正康の両名が、昭和の代表的軍人22人を俎上に載せて、才幹・人望・責任の取り方などを採点する対談集。

帯には「日本のリーダーの資質を問い直す」とあるが、紙幅の都合もあり、それほど掘り下げた議論にはなっていない。両人にさほどの見解の相違がないこともあって(永田鉄山を絶賛する半藤、武藤章に好意的な保阪など、若干のズレはあるが)、和気藹々としたやりとりになってしまい、ちと物足りない。


とはいえ、2人の取材蓄積はやはり侮れないものがあり、関係者にインタビューした時のエピソードなど、あまり耳にすることのない裏話も所々に入っており、なかなか面白い。瀬島龍三が入稿前の他人の原稿に無断で手を入れて「瀬島参謀がいかに有能といえども・・・」と書いた、などという挿話には苦笑させられる。


一般的には無名な岡敬純・石川信吾を採り上げているのも本書の特徴で、彼等「海軍国防政策委員会」第一委員会のメンバーが、もともとは親英米派が多かった日本海軍を対米開戦へと導いていったことに言及している。


ちなみに2人は「愚将篇」で大西瀧治郎を採り上げているが、これは構成上の便宜的な措置であり、大西を批判するというよりも、割腹した大西を(死人に口なしとばかりに)「特攻作戦生みの親」に仕立て上げ、全ての責任を押しつけた海軍を批判する内容になっている。海軍善玉論批判は、本書で繰り返し語られるメインテーマである。




入門編と考えれば、コンパクトにまとまった良書と言える。最後に苦言を呈すと、「栗林忠道」の項で、クリント・イーストウッドの硫黄島二部作について熱心に語る一方で、梯久美子の『散るぞ悲しき』に一切言及しないのは如何なものかと思う。たぶん当該分野の大先達であるお2人は「あの程度の本が何故売れるのか分からない」といった反感を持っているのだろうが、いささか大人げなく感じられる。
事実を直視しない老人のご都合主義 ★☆☆☆☆
著者らは、半藤氏が長岡藩士子孫であるという戦史には関係が薄い個人的な事実に囚われ過ぎている。
著者らは、『太平洋戦争は、薩長が始めて賊軍が終わらせた』(p71)と記述しているが、疑問を禁じ得ない。
次のような歴史的事実があるからである。

1.日米戦開戦時:海軍大臣嶋田源太郎(幕臣)陸軍大臣東條英機(盛岡藩)陸軍参謀総長杉山元(小倉藩)
2.日米戦真珠湾奇襲作戦提唱者:連合艦隊司令長官山本五十六(長岡藩)
3.ミッドウェー作戦提唱者:山本五十六(長岡藩)遂行者:南雲忠一(米沢藩)
4.日米戦の遠因たる日中戦開戦時:関東軍参謀長東條英機(盛岡藩)参謀副長石原完爾(庄内藩)
    陸軍大臣杉山元(小倉藩)参謀次長多田駿(仙台藩)海軍大臣米内光政(盛岡藩)
5.満州事変首謀者:石原完爾(庄内藩)板垣誠四郎(盛岡藩)
・・・
上記だけでも一目瞭然。開戦及び戦争継続の最高責任者達を、幕臣及び列藩同盟系の人士抜きに語ることは
不可能である。

また、終戦は、当初予定の2年よりも遙かに遅れ、米内大臣が天佑と評した原爆投下によってようやく
迎えることができたものに過ぎない。日本側の誰かの手柄であるかのように表現するのは不適切である。

即ち、著者らが好む枠組みであえて表現すれば、『昭和の戦争は、賊軍が始めて、長期化させ、原爆投下で
継続不能になり、行き詰まって終了した。』と評するのがより適切である。

本書のテーマである名将・愚将の区別については、名将の条件が一応列挙されてはいるものの、通俗的で
新味はない。また、例示されている人物に対する個々のあてはめは極めていい加減である。

あの勝算なき戦争をやってしまった愚か者が間違いなくこの国にいた。著者らに愚将と非難されている人達から
ではない。著者らの歴史に向き合う姿勢、及び、本書における著述の姿勢によって、この現実を改めて思い
知らされた次第である。
時事放談 「昭和の名将と愚将を語る編」 ★★★☆☆
 帝国陸海軍の将官、佐官を半藤氏と保阪氏が対談形式で評価する、時事放談のような本。
 名将・愚将かを断ずるのに不要な小ネタをちりばめつつ、というよりも、この小ネタも興味深い。
 インパール作戦の牟田口廉也についてのやり取りが一番印象的。彼の行状が事実ならば、どうしようもない軍人である。なぜ、将官になれたんだ?特に彼に対する元兵士の証言は胸を衝く。この箇所に、もっとページを割いてほしかった。
名将愚将、身近にも ★★★★☆
人物を通した日本型組織論としてビジネス書としてよんでも面白い。小沢治三郎、栗林忠道らが適材適所での指揮をとれず、山口多聞の具申は退けられ大敗北を招き、今村均は占領政策が生ぬるいとラバウル司令官を解かれるなど人事の失敗が敗戦を招いた。その一方、跋扈するのは、こすからい辻や服部、瀬島ら頭でっかちな無能かつ処世術に長けて狡猾な参謀やら、上層部に媚びるだけで無謀無策な牟田口やら、極めつけは特攻に若者を追いやったという大西、富永ら、と枚挙に暇がない。それにしても、この組織、私やあなたの勤務先に似てはいまいか。あなたの上司、同僚、部下に現代の辻や牟田口がいるかも。この日本人の悪い習性、戦後60余年経ても変わらないのが情けない。
興味深い史実のオンパレード ★★★★★
内容の濃い対談集。個人的には、前半部(名将篇)では、例えば以下の挿話などが目を惹いた。(1)東京裁判の判決後、死刑宣告を受けなかった被告達が入れられた部屋から、嶋田繁太郎のうれしそうな高笑いが聞こえた話(102頁)、(2)敗戦後の小沢治三郎の言葉「開戦の責任は俺にはない。しかし、敗戦の責任は自分にある」(116頁)、(3)大島浩は東條英機と陸大同期で、東條は彼の父親(陸軍大臣大島健一)の副官であった点(142頁)。しかし、本書の圧巻は、何といっても今回新たに語り下ろされた後半部(愚将篇)にある。例えば、(1)シベリア抑留について第三者がまとめた入稿原稿に勝手に手を入れた瀬島龍三の姿(218頁)や(2)正に「文化に対する挑戦」であった神風「特別」攻撃の認可プロセスに皇族も関与していた点(239頁)、等々。幾万もの有為な若人がこれら唾棄すべき愚将たちによって死に追いやられたことを思うと、本当にやるせない思いが尽きなくなる。(また、翻ってみれば、彼らのクローンは、今日の日本社会の各所に数多跋扈しているようにも思える。)