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一死、大罪を謝す―陸軍大臣阿南惟幾 (PHP文庫)

価格: ¥400
カテゴリ: 文庫
ブランド: PHP研究所
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自刃によってのみ収めきれた敗戦処理の最後の陸軍大臣 ★★★★☆
 日清・日露の両戦争ともに、日本の政府は欧米諸国に比較して自らの非力を深く自覚していたので、戦争を開始する前から講和の道を探っていた。一方、太平洋戦争では世界の情勢を熟知し、講和のタイミングを計算できる政治家、軍人は、「弱腰外交」との非難の圧力、テロの圧力に政治権力の中枢から押し出されてしまった。帝国憲法の大権をもつ昭和天皇ですら、英米との親和を重要視していたにもかかわらず、親独派外交の独走に寄り切られ、統帥権を無視して中国にのめりこんでいく関東軍に開戦に向けて引きずられていってしまう。海軍もミッドウェイ海戦での敗戦により、制空権、制海権を失ったにもかかわらず、敗戦の事実を国民に正直に伝えらず、その後の決戦による挽回もすべて空振りに終わったことを転進という嘘の言葉でいいくるめ、講和のタイミングをつかめないままずるずると引き下がっていく。
 戦争の前線、現場を知らない大本営の軍人が本土決戦を叫ぶ。国体維持の議論に足をすくわれて、政治的判断が下せなくなった政治家。ただ軍部を抑えても強硬派、狂信的国粋主義者に殺されて努力が無に帰する可能性が高いなかで、敗戦処理内閣とも目された鈴木貫太郎内閣の陸相に任命される。現実的判断能力を失った軍隊のしんがりを務めるためには、戦争継続を表看板にしながら、無条件降伏の敗戦を軍隊に納得させる腹芸のできる人物が必要である。現場で戦っていた阿南大将は、陸相に任命されその綱渡りの役をこなした。
 だました軍隊に差し出すものは自分の命であることはもうわかっていたのだ。
運命のめぐり合わせ ★★★★☆
 阿南陸軍大臣は、それ以前は、決して、陸軍において、目立つ存在でもなければ、失礼ながら「将来を嘱望された」人でもなかった。
 この彼が、どうやって大東亜戦争を終結させるかという鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣になったことは、時代と運命のめぐり合わせでしかない。彼でなければならなかったという状況ではないし、彼しかいなかったという状況でもなかった。
 そういう状況の中で、鈴木貫太郎内閣で「終戦の方向」が暗黙裡に模索される中で、表面的には、「戦争継続」を強硬に論じ、他方、万一の場合の若手陸軍将兵の反乱を防止することも考えなければならないというのは、以下に心労であったろうか?
 「ご聖断」が下った後、鈴木貫太郎にそれまでの失礼を詫び、別れるときには、すでに自決は決まっていたのであろう。
 彼は、彼なりに「戦争継続」をいい続けることで陸軍を納得させながら、最後は「ご聖断」で彼の属した内閣の目的の達成を喜んでいたのではなかろうか?
陸軍七十余年ノ歴史ハ、阿南大将ノ自決ヲモッテ終止符トナスベキカ ★★★★★
終戦をめぐる物語は数あれど、最後の陸相阿南惟幾に課せられた決断ほど困難なものはなかった。
終戦への意思を胸に秘めつつ、徹底抗戦を叫ぶ帝国陸軍500万の統率者としてポツダム宣言受諾に頑強に抵抗、聖断が下るや自身の死をもって陸軍の暴走を止め、戦争終結へ導いた。
彼は一切を語らず、書き残さず自刃したが、それも当然だったろう。徹底抗戦が腹芸であることは抗戦派にも和平派にも悟られてはならなかった。一切の決断と責任を孤独の中で背負わねばならなかった彼の胸中は如何ばかりであったろう。
「本土決戦で2000万人の犠牲が出れば、アメリカは戦争をやめるだろう。」という狂気の言説がまかり通っていたあの時代に、阿南惟幾という男を持てた我々日本人は幸運だったと言える。
8月15日に本書を読了した。昭和20年のこの日、阿南は絶命した。僕は布団に寝そべってこの本を読んだ。数え切れないほどの悲惨と死の上に築かれたこの平和な時間をしみじみ有難いと思った。星5つ、文句なし。
最後の武人達 ★★★★★
賛否両論人の評価はいろいろに分かれるが、この時期に多くの武人がなくなった気がする。
彼もその一人である。
靖国神社に今なお、彼の残した血染めの一筆が展示されている。
「陸軍は承服しかねる」この一言は、彼が割腹をも覚悟の上の一言である。
それぐらいの重さを持った「一言」を、私たちはどの覚悟で言えるだろう?

人生の指針として、自己の修養にやくだてたい一冊である。

リーダーのあり方 ★★★★★
 1945年8月15日の敗戦≒終戦に照準を合わせ、如何にして天皇の意思に従い、できるだけ犠牲を出さずに日本に終戦を誘導していくか。
 当時いろいろなタイプのリーダーがいただろう。陸軍大臣阿南惟幾は表向き本土決戦を言いつつ陸軍青年将校の離反をさせず、結果としては天皇の聖断という形で終戦に持ち込んだ。そして自分は8月14日に
自決。

 「全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ全軍に最も強いショックを与え、鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思表示であった」と著者はいう。