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私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実

価格: ¥1
カテゴリ: 単行本
ブランド: 文藝春秋
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切々と歌う歌姫の愛と悲しみ ★★★☆☆
チェンマイのナイトマーケットを冷やかしていた時、テレサテンのCDを求めました。台湾の演歌歌手あるいはカラオケの原曲を歌っていた人ぐらいの認識しかありませんでしたが、CDを聞いてみて、「愛人」、「時の流れに身をまかせ」、「別れの予感」のひたむきな訴求力というか切々とした歌い方にひたすら瞠目しました。 のちに、そのチェンマイの地で、テレサテンが夭折したと知り、この本を手に取りました。 国共内戦に敗れて台湾に逃れた家族、祖国である大陸への思い、民主化への憧れ、歌と同様に実らぬ愛。 丁寧な取材でそれらを説きおこしてゆく取材力は流石です。 難を言えば、優れたルポルタージュである対価として、華がないのです。歌姫の素顔を見てしまい、あのひた向きな美声がくすんでしまった感がありますが、優れた力作であることに違いはありません。
アジアの歌姫 テレサ・テンの実像に迫る傑作 ★★★★★
筆者の有田芳生氏は、統一教会やオーム真理教において鋭い調査分析力を発揮したジャーナリストです。テレサ・テンが突然この世を去ってから10年目にまとめられた本書によって、知られざる彼女の思いと願いが多くの日本人に伝わったことでしょう。

「アジアの歌姫」と評価されるテレサ・テンを日本での活動だけで見てしまうと当然ながら過小評価になると思います。
台湾と中国という歴史的な問題を抱えている2つの国の狭間において、中国人であることの意味を問い続けた結果が、本のタイトルにもなった「我的家在山的那一辺(私の家は山の向こう)」を歌ったことにつながります。1989年5月27日の香港ハッピー・ヴァレー競馬場での音源を聴いたことがありますが、感情のほとばしりが伝わる感動的な歌唱でした。
あの天安門事件直前のテレサの感情と行動を如実に感じることができるエピソードですし、それゆえ、その行動の結果によって難しい立場に立たされたわけですが。父母の祖国中国への思いが複雑だったのは全編を通じて感じられました。

数は多くありませんが、各章ごとに彼女の珍しいプライベートな写真が掲載されています。
また伝記ですから、両親の出会いから、彼女の生い立ちも詳しく記してあります。読むのは一時ですが、この丹念な取材には膨大な歳月が必要だったことでしょう。あとがきに書かれていますが、構想から完成まで13年間かかったのは、筆者の多忙もありましたが、それだけの難しさを感じていたからに他なりません。

彼女の歌声を聴くことは最早できません。しっとりと情緒的で、どこか哀しげに歌えるのはテレサしかいないと思います。そんな彼女の知られざる一面を本書でたどりながら、再びCDを聴くのもまた良い機会なのでしょう。
自らの道を切り開いた女性 ★★★★★
 本書は彼女の死の真相を暴くといったようなスキャンダラスな本ではなく、丁寧に彼女の生い立ちから、芸能活動、政治との関わり、そしてチェンマイでの過ごし方をつづった読み応えのある立派な伝記でした。彼女は何回かチェンマイに来ていますが、はじめてチェンマイに来てから亡くなるまで1年に満たないということも本書で知った意外な事実でした。

 彼女の人生には現代史における中国人としての苦悩があります。国交が世界に開かれているが民主的とはいえない父祖の国と、民主的になったが国際的な孤立をしている生まれた国。その二つが対立している狭間でどう生きるか彼女は常に決断を強いられ続けます。

 祖国ができることが、また祖国でできることが限られているのなら、自分で自分を何とかしなければならないのです。だから中国人は、特に華僑といわれる在外中国人たちはタフにならざるを得ないのでしょう。国に頼るのではなく国と渡り合って自立しているのです。それが彼らの強さだと思います。

 ひるがえって私はどうでしょうか。国に求めるだけでなく自立できているでしょうか?自問させられました。

 まちがいなく、彼女は強い女性でした。
政治に関わらざるを得なかったテレサテン ★★★★☆
 テレサテンの中国語曲を聞いてみると、耳元で直接ささやいているかのごとく感情のこもった甘い歌声が聞くものを魅了する。深い情感に満ちた「月亮代表我的心」、静謐感が心にしみる「独上西楼」、初々しい「初恋的地方」、躍動感あふれる「採紅菱」、日本の曲をカバーした「小村之恋」、30年代上海歌謡のリバイバル「天涯歌女」、中華民国の国花を唄った「梅花」(現在はYouTubeなどのサイトでビデオが見れます!!)等々、どれも本当に素晴らしくて彼女のファンになった。

 本書を読んで日本では幅広いレパートリーのほんの一部しか唄っていないこと、演歌歌手テレサテンというイメージが、日本向けに作られたものだったこと、がよくわかった。「これからの人生のテーマは中国と闘うことです」と著者に語ったというのには驚いたが、有名歌手になったから自然に周囲の政治的思惑に巻き込まれたのでなく、主体的に政治に関わろうとした側面もあったことを本書を読んで知った。タイトルになっている天安門事件当時に唄ったという「私の家は山の向こう」を聞いてみたが、緩やかなメロディと甘い歌声のなかにも、鋭い政治的メッセージを感じさせる力強い唄い方で、政治に関わらざるを得なかったテレサテンの思いが伝わってきた。
各章扉にあるテレサ・テンの写真の推移に、胸を衝かれる。 ★★★☆☆
 先日読んだ故・米原万里の書評集が滅法面白く、そこで「名著」の太鼓判を捺されていたので読んでみた。感想は、どこか物足りない。
 台湾のいわゆる外省人の家族に生まれ、中国との関係を強く意識して生き、しかし天安門事件を目の当たりにして中国の現体制に絶望し、精神のバランスを崩していく一人の女性歌手、という本書の構成は理解できなくもない。テレサ・テンが89年5月末、香港での中国民主化運動支援コンサートに参加する経緯は最大の山場で、この時の歌唱が付録CDに収められている。しかし私は、それでテレサ・テンという人間が腑に落ちた、という気持ちになれない。
 CDにはテレサ・テンへのインタビューも収録されているが、率直に言ってこれは「聞きたい言葉」を聞き出すタイプのインタビューだと思う。著者は遠慮がちに、遠回しに、しかし誘導的に質問を差し出しているのではないか。本文中にも著者の想定する図式に収まりきらない彼女の言動が垣間見えるが、十分に展開されていない。そのためか、読後には「歴史に翻弄された」という受動性の印象ばかりが残った(因みに著者HPに本書への書評が再録されており、その中では共同通信社編集委員・岡田充氏の文章が私の疑問を比較的うまく言い当ててくれている)。
 余計なことかもしれないが、かつて共産党員だった著者は雑誌・書籍の編集活動の問題から2度の査問を受け、最終的に党を除籍になっており、本書に登場する『北京青年報』の関鍵記者の運命と重なるものを感じた。また共産党絡みで言えば、米原万里の父・米原昶は共産党の衆議院議員だった人だが、著者の遠縁にあたり、祖父とは親しかったらしい(著者HPによる)。