テレサ・テンの最高傑作(演歌ではありません)
★★★★★
テレサ・テン(ケ麗君、Teresa Teng)が亡くなってから15年が過ぎました。
享年42歳。美空ひばりが52歳、Michael Jacksonが50歳で亡くなったことを考えると、あまりにも早い生涯だったのだなと痛感します。
日本では、テレサ・テン=演歌の人という印象が強いのかもしれません。
出身地である台湾、そして香港での音楽活動では、日本とは違って良質なポップスシンガーという位置づけです。
日本のレコード会社(ポリドール、トーラス)での売り方がたまたまそうであったということで、実際に日本で流通しているCDの多くが日本でのヒット曲を集めたものがほとんど。
もったいなと思います。
1983年に制作・発売された「淡淡幽情」(タンタンヨウチン)というアルバムです。
南唐や宋の時代の古典詩に現代の作曲家が曲を付けるという企画。
彼女の歌のうまさ、耳心地の良い韻など、聴き所が多い作品です。
おすすめです。
★★★★★
彼女が歌う中国語の歌はとても美しい響きです。このCDを聴いているとその優しい声の響きで落ち着きます。元になっている漢詩が素晴らしいのもあると思いますがまさに精神安定剤のような感じです。まだ若かったテレサさんはやはり天才的な歌手だったと思わざるえないです。中国語に興味がある方はそしてテレサさんの日本の歌が好きな方はぜひこちらを聴いてみてください。
中国語を勉強しなければ辿り着けなかった、テレサ渾身の傑作
★★★★★
テレサを聴くなら、不倫の演歌ではなく、台湾人テレサの心の祖国=中国の人々の心情を表現したこのアルバムの曲を聴くべき。これらはテレビ等で流されることはほとんどなかったと思う。私は中国語を勉強しなければ辿り着くことができなかった。
特にお勧めは「但願人長久」と「思君」。絢香の「三日月」が人と人をつないでいるように、「但願人長久」では月が、「思君」では長江の水が、遠く離れた2人をつないでいるという癒しの歌。作曲も演奏も素晴らしく、長調でありながら深い哀愁を秘めている。これを清らかで切な過ぎず柔らかいテレサの歌声で聴くとどうなるか。テレサが期待を裏切ることはない。
なお「但願人長久」では、「人には悲しみと歓び、出会いと別れがある。・・・完全というのは古より難しい。」という歌詞があるが、テレサ自身の人生もそうであった。それに続けて但願人長久(ただ人が長く久しきことを願うばかりだ)と優しく歌うテレサにも長生きして、もっと歌ってほしかったと思わずにはいられない、私の中では世界一の曲である。
「この心は誰も知らない」。 が、彼女はその心を知っていた。
★★★★★
このテレサ・テンのCD、「淡淡幽情」を聴いた。ほとんど全てが、哀切な情を、テレサ・テンらしく、くど過ぎず、切な過ぎず、彼女らしい清流の流れのような情緒の流れとして歌っている。このCDが、本来の『テレサ・テン』を代表する一枚であることは、恐らく、否定できないだろう。
しかし、わたしが思うに、このCDには、ある一つの特殊な事情がある。それは、2曲の例外を除いて、つまり、12曲中10曲までが、中国・宋代の男性詩人による詩を歌詞としていることだ。このことは、このアルバムに特殊な性格を与えている。つまり、それらの歌曲が、男性の詞によるものとしては、軽いということだ。テレサ・テンは、歌詞に忠実に歌っているが、それらは、やはり、女性の歌だ。テレサ・テンというほとんど奇跡のような純粋な女性歌手の感性は、やはり否定しようがないのだ。それら歌曲は、この純粋な女性歌手の感性という薄い紗のカーテンによって、云わば、濾過されている。恐らく、本質的には、重い骨太さを持つこれら宋代の男性詩人による悲痛の表現は、このアルバムでは、もっと女性らしい柔らかさ、ブックレットの云うところによれば、「洒脱」と云うのだろうか、そういった性格のものになっている。だから、一聴した限りでは、これら男性詩人による歌曲の印象は、圧倒的なものではない。彼女の他の中国歌謡と、それほど異なった印象を与えない。ただ、第10曲目の柳永の詞による「別れの涙」は例外だ。これも、本来は、かなり重い悲痛さを持った歌詞なのであろうが、テレサ・テンの歌唱は、見事に、この情緒連綿とした歌詞を自家薬籠中のものとして、彼女の個性という油の乗り切った、溌剌とした表現を与えている。これはまさにテレサ・テンの歌だ。テレサの個性が、この古えの男性詩人の詩歌表現を取り込んで、この詩歌がテレサ自身の歌に生まれ変わっている。聴いてもらえば分かる。なんという溌剌で、伸びやかで、細やかで、適切な表現であるかが。この「別れの涙」は、男性詩人の詩をテレサ・テンが、女性として歌った成功例だ。
さて、このアルバム12曲中、2曲しかない女性詩人による歌曲だが、わたしは、絶対に、第6曲目の「この心は誰も知らない」を挙げる。この女性詩人の歌詞と、テレサ・テンの感性が、これほどマッチした例を、わたしは他に知らない。曲調は、どこかヨーロッパ風のアリアを思わせるのだが、テレサ・テンの表現力は、空恐ろしいほど微に入り細に渡って、この歌曲を生き物のように、息衝かせている。実を云うと、この歌はセクシーな歌なのだ。しかし、テレサ・テンは、このセクシーな歌を、ほとんど芸術の域にまで昇華させている。そこにあるものはなんだろうか? それは、有史以来変わらぬ、男を想う女の恋心の純粋にして本質だ。テレサだからこそ、この本質をかくも美しく表現できたのだろう。だから、わたしは、この「この心は誰も知らない」一曲で、このアルバムを真に価値あるものとしていると信ずる。「この心は誰も知らない」の『この心』を、テレサは、実によく知っていたのだ。
同じ漢字文化圏の人間として、限りない共感を覚える。
★★★★★
本作は83年に発表された、南唐・宋詞に新しく曲をつけてテレサが歌ったもの。このような傑作が存在することを今まで知らずにいたとは、自分の不明を恥じるばかりです。詞は中国の古典・韻律詩ですが、詩とちがって、元来詞牌というメロディーとともに歌うことを目的としたもの。残念ながら今となってはその詞牌がどのようなものであったか復元できないようですが、それを現代の曲で蘇らせようと考えたスタッフのアイデア、そしてそれに見事に応えたテレサの歌唱の見事さに脱帽します。千年も前の詞がこのように瑞々しく歌われようとは驚くばかり。もちろん厳選した詞ばかりなので、当然ではあるのですが、各曲の詞の素晴しいこと。是非ブックレットに印刷された詞を読み下し文で読んでみて下さい。昔の詩人の心が胸に響くでしょう。知らない詩人もいますが、南唐後主、蘇軾、歐陽修、朱淑真等の有名詩人の詞も含まれています。中でも南唐後主の詞を三作採用しているのは、外省人として台湾で生まれ育ったテレサの大陸への思いを反映したものでしょうか。
曲はどれも聴きやすく、古典の詞を歌ったものだから堅苦しいだろうなどと心配する必要はありません。千年前の古典を現代に蘇らせることに成功した破格の傑作に対し、同じ漢字文化圏の人間として、本作に限りない共感を覚えることは間違いないでしょう。