たとえば第1章「贋物と本物」では、カントが哲学の歴史の始まり「人間の思考様式の転換点」をなぜタレスの哲学に求めたのか、がテーマである。そして「ひこう鬼現わる」というムーミンのストーリーの中に、「夕焼け空のもとにあるときだけ、いかなるルビーにも優る、みごとな輝きを放つビー玉」をもつムーミンと、そのビー玉を「夕焼け空のもとにあるときだけ(みずからにとってもっともふさわしい場におかれたときにだけ)、その本当の姿を現わす<ルビーの王様>」だと断言する「ひこう鬼」の世界観のぶつかりあいを見いだす。そして著者は、この2つの背反しあう世界観が見事に共存する可能性を発見する試みが「哲学」であるとし、1つの事柄のうちにビー玉とルビーの王様という2つの意味がどのように共存しうるかを探っていく。
けっして読みやすい本ではない。しかしそれは、著者が二元論的な思考の枠組みで単純にものごとを割り切って理解することを拒絶し、「神秘的なものを神秘的なままに」とどめておくという姿勢を貫いているからである。そこにこの本の深みがある。まったくムーミンを知らなかった読者も、純粋にその物語に心ひかれ、読みたい、見たいと思うだろう。「メルヘンをメルヘンのままに」享受すること、それが著者の最も望んだことだとすれば、その意図は、読者をムーミンの物語へと端的に誘うことに成功しているという点で、十分に達成されているといえるだろう。(吉澤夏子)