文化多元主義という排除のシステム
★★★★☆
本書は犯罪問題を中心に研究するイギリス気鋭の社会学者、
ジョック・ヤングの著した『THE EXCLUSIVE SOCIETY』の邦
訳だ。
内容は有り体に言えばポストモダン論。本文中にもでてくるウ
ルリッヒ・ベックやギデンズの「リスク社会」論、あるいはジクム
ント・バウマンの論じた「リキッドモダニティ」などとは当然地続
きの関係にあり、本書でいうところのかつての包摂社会が前期
近代、問題となる排除社会が後期近代にあたるわけだ。
前期近代、それは他なる者をいったん排除した後、同化させよ
うとする、いわば「おせっかい焼き」な時代だった。しかし時代は
下り、ポスト・フォーディズムに象徴されるような社会と経済のモ
ジュール化の進行した先にある後期近代では、経済的不安と
存在論的不安のダブルインパクトが主体を襲う。そんな社会で
は、一見口当たりのいい“文化多元主義”は、自分がだれなの
かという存在論的な問いを隠蔽するために行われる他者の排除
に対する免罪符にしかならない。
著者が提言するのは、変容的文化多元主義。そこには確固とし
て決まった自己はもうない。それさえも、他者によって変容する
覚悟が必要だということだ。だがそれは、存在論的不安におび
える人達の本当の処方箋になるのかというと、僕にはそう思え
ない。なぜならこの人の言ってるのは、例えるなら「闇が怖い」
という人に「闇の中へ進め」といっているようなもんだからだ。そ
の点でこの本が処方箋になりえているとは言いにくいが、現状
分析として読んでおいて損はない。
ただこの本、他の人は書いてないが、やたら厚い。ゆうに500ペー
ジある。この点、実は繰り返しも多いし、論じている内容からすれ
ばもうすこしコンパクトにできただろう。それに本文中、何人も他の
論者の主張を批判的に検証しているのだけれど、どんな論争もそ
うだがその背景を知らない僕のような者からすれば、追っていくだ
けで一苦労。人生は短い。この本に限っていえば、議論の中身を
飛び地して結論へ急ぐ「効率のよい読書」をすることが賢明と言え
そうだ。
社会構造論からの犯罪学へのアプローチ
★★★★★
「包摂型」であった現代的な大衆社会統合は、今日「排除」を特徴とする後期近代へと移行した。新自由主義改革の下で雇用の非正規化は進行し、社会の分裂傾向は多様なアイデンティティの「本質化」をもたらした。このような物質的な基盤の変化が、今日の犯罪の激増をもたらしたのである。本書の眼目は、こうした社会構造の変化に対応して今日隆盛を極めつつある、犯罪に対する「保険統計的」「リスク管理的」アプローチに批判的検討をくわえ、かつ、従来型の福祉国家への回帰ではないオルタナティブな社会契約を構築することにある。排除型社会では、多様性は承認され、排除され、危険視されるのは服従しない人々と危険階級である。これらに対する予防的・リスク管理的支配は、アメリカのごとき「収容所列島」をもたらすであろう。後期近代に対応した社会的分配の確立、市民権の確立、正義の実現こそが、排除型社会のオルタナティブであるとする。「多文化」主義、あるいは反近代主義的な伝統主義への固執に批判的なスタンス(このアプローチはデビット・ハーヴェイと似ている)を貫いている点からも、著者は社会民主主義のバージョン・アップを試みているといえるだろう。本書のように「犯罪」について、社会学の枠組みをこえて、社会構造的・包括的なアプローチから分析する視角は、実は今日の犯罪学などでは希なのだ。その意味でも参考になる貴重な一冊だ。
世界でなにが起きているの?
★★★★★
私は子供を育てている主婦ですが、本のタイトルに惹かれて購入しました。
分厚い本でしたが、優しく丁寧に解説されており、非常に読みやすかったです。
私たちはこれから何を考えるべきか
★★★★★
前書きにもあるが、本書の根底には、近年の犯罪政策の主流であるゼロ・トレランス政策(厳
罰主義)の科学的基盤である保険統計主義(データベースにもとづく効率的な予測技術)が、
本質主義(少数者にレッテルを貼ることによる差別的理解)や新自由主義と結びつくことによ
り、犯罪対処の産業化を推し進めている事態にたいして、犯罪をなくすためにはその真の原因
である社会を改革しなければならないのに、その正反対に向かっていることへの批判がある。
しかし本書の特徴は、そうした犯罪政策をめぐる変化から、その背景にある経済・社会・政治
・歴史へと考察を広げ、近代社会から後期近代社会への移行とその問題の大枠をクリアに整理
した点にある。むしろそちらのマクロな議論のほうが勉強になるくらいである。
興味深いのは、犯罪を雇用問題とからめて論じた著作は他にもけっこうあるが、さらに本書
では「存在論的不安」、つまり近代人の内面の問題にまで踏みこんで、それらのつながりを論
じている点である。そのことが本書をたんなる社会理論の書ではなく、人間のあり方への洞察
にもとづく思想的深みのある本にしている。
タイトルにある後期近代に登場した「排除型社会」は、皮肉なことに、もはや「社会」と呼べ
るような代物ではなく、むしろ社会が根底から破綻したこと、私たちは社会を根本的に再構築
しなければならない状況にあることを意味している。
私たちが現在いる状況を総括し、「これから何を考えなければならないか」を明確にしてい
る良書で、社会問題や社会思想に興味ある人なら誰にでもお勧めできる内容になっている。
分厚いわりに訳文が読みやすいので、読むのに苦にならない。
血にまみれたルソーの手
★★★★★
いまだに燻っている「オールド・リベラル」への淡い期待が、幻想に過ぎないこと、
ネオリベラルとオールドリベラルが同根であることを嫌というほどわからせてくれる1冊。
「格差」「排除」といったキーワードは、いまや時代の寵児ともいえる誠に美しい社会状況だが、本書はそうした多くの書物群の総括的意味を持っているのではないか。
ジクムント・バウマンが推薦するだけのことはある。
ところどころ提議に対する結論が急ぎ過ぎで、論証に欠けるように思われる部分もないではない。
そうした部分をどのように判断するかは、結構本書の肝になっている。
とはいうものの、排除の動態を労働、市民社会、犯罪の各レベルに腑分けし、捌いていく筆致は誠に空が晴れるようだと言えばよいだろうか。
今日ほど世界思潮が、一般民衆の生活に土足で入り込んできている時代はない。
「哲学や思想なんて関係ない、そんなものは知らなくても生きていける」というのは、確かに永遠の真理かもしれないが、どうも雲行きが怪しくなってきているゾ!
「ロベスピエールは、所詮ルソーの手、ジャン=ジャック・ルソーの血にまみれた手こそがマキシミリアン・ロベスピエールに他ならない」
というハイネの名文句が、最近恐ろしいリアルさで迫ってくる気がする。
ハイネの19世紀と21世紀の今日では、当然時代相は違うが、偉大な詩人・哲学者の慧眼は特殊を超えた普遍法則を歴史のなかに見ていたのではないか。
ケインズも「恐ろしいのは思想である」であると喝破した。
今日のおぞましい歴史環境、これらは皆、思想の帰結ではないのか。