もう少し読ませる努力を
★★☆☆☆
この本が対象にしいている「疑似科学を信じている人」に対する読みやすさがない。
ただの説教と化している。
私は著者の立場に賛成なので、彼の見解にうなずきながら読みましたが、
この説教チックな文章じゃ疑似科学を信じている人が読むことはないだろう。
科学を装った非科学に騙されないために
★★★★★
本物の科学と偽物の科学を見分けるための貴重なヒントが本書には詰まっている。
現在の科学は決して完成されたものではなく、現在進行形のものであり、わかっていることとわかっていないことがある。それにも関わらず、現実の諸条件の制約を受ける人間は、よくその事を忘れてしまう。その当たり前のことに、本書は気付かせてくれる。
良くも悪くも保守的
★★★☆☆
科学的な仮面を装ったニセの科学を分析し、問い続けることの重要性を説いた本。物事を信じやすい人は読んでおいて損はないだろう。
1.非合理主義、2.科学の悪用、3.複雑系の誤認、の3種に区分して解説するところは分かりやすい。反面で、第一種、第二種といった言葉が常に出てくるから、最低限この3つは覚えておく必要がある。
4章ではじめて筆者の意見が見えてくる。筆者が主張する「予防措置原則」であるが、これは端的には「石橋を叩きながら渡る」、良く言えば「君子危うきに近寄らず」といっているようなもの。
極めて保守的でまっとうなのだが、本書に何らかの斬新な考えを期待していた人は拍子抜けするかもしれない。また、古い基準を固守する役人的な考えを批判しながらも、安全が保証されるまでは待つことを奨励する態度には煮え切らないものを感じた。
ただ、社会には白黒付けられないことが多いのも事実だし、自分の思い込みを総点検するための本としては有益に思う。
アメリカの ものよりなんか つまらない
★★★★☆
1.内容
科学者の著者(p203参照)が、「ガードナーやセーガンなどアメリカでは疑似科学を糾弾している本が多く出ているのに日本では本格的に論じたものが少な」(p199)いことに憤慨して(?)、疑似科学を糾弾するために書いた本か。内容は、精神世界にかかわる第一種疑似科学、物質世界にかかわる第二種疑似科学のそれぞれの実際、中仕切りとして疑似科学が生じている背景、後半戦として第三種疑似科学と命名した複雑系の問題、そして最後は処方箋を5つにまとめて提示している。
2.評価
疑似科学についての最初の一冊としては悪くない(一冊にまとまっており、安く、見分け方もそれなりに提示されているし、三種の範疇分けもよい)。ただ、(1)「ガードナーやセーガンなど」の本ほど面白くなかった((『奇妙な論理』(全2冊)、『悪霊にさいなまれる世界』(全2冊。旧名は『なぜ人はエセ科学に騙されるのか』(新潮文庫))、ともにハヤカワ文庫)もご一読を)、(2)ところどころどうかと思うところがある(たとえば、自分がたいしてネットをやらない(推測)だからってネットの悪口を書くのはいかがなものか。また、電磁波についての記述も疑問(ペースメーカーや携帯電話の進歩ってないの?そして、その結果、マナーモードでよくなったということはないの?))ところで星1つ減らして、星4つ。
直球勝負の快心作
★★★★☆
科学者たる著者の気骨が感じられる「快心の一冊」と言う感じだ。
本音は終章にならないと出てこないが、そこでは「疑う心を育てる」ことの大切さと、そのために大人や科学者がどうあるべきかという自戒が込められている。
全体は、著者が疑似科学という世の中のまやかしを分類して、その仕組みを解説してくれている。分類の明快さと、解説の小気味よさも読み所である。そして、このような疑似科学がはびこる原因を「メディアを通して仮説や他人の受け入れを盲信すること」に見いだし、そんな「お任せ」意識の蔓延に警鐘を鳴らしている。政治や行政にもはびこるこの意識を指摘するところは本書がもっとも輝く瞬間だ。
ゲーテ「ファウスト」からの引用はやや古臭い気もするのだが、著者の世代の教養としては妥当なところだが、著者のスタンスと同じでやや高邁にすぎる感じは否めなかった。
全体的に「直球ど真ん中勝負」と言う感じで読んでいて爽快でさえある。