カラヤンの魅力だけにとどまらない。人としてどう生きるかを考えさせられる
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この本には、音楽CDが添付されている。これだけでも堪能できることだろう。
室内のオーディオシステムでもよし、iPodでもウォークマンでもよし、CDを聴きながらこの本を読み進めると、文字と音楽が織りなすカラヤンと茂木健一郎の合作に巡り会えるに違いない。
カラヤンは「レガート」にこだわり続けた指揮者だった。
茂木健一郎とソニーの大賀顧問とのインタビューの中で、大賀氏は「レガートというのは、すべてにおいて、ぎすぎすしないということでしょう」と語っている。
茂木氏はさらにレガートを深めていく。
「この人生において、もっとレガートを大切にしたい。まるで、音楽そのものを生きるように。経験の間をつなぐ目には見えない架け橋を思う。偶然であった人を、世界に無数にいる人の中の一人だと片付けないこと。遭遇したことを自らの人生の運命だと思い、受け入れる。続いていくことが、生命の価値。人生の意義。なんとしても、なめらかにつないでいくこと。・・・(中略)・・・そうすれば、いつしか、私たちの人生は光を放ち始める。」
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茂木健一郎のここ数年の出版物の多さには驚きを隠せない。
このペースで著作物を発表するということは、1冊1冊の密度が薄くなるのではないかと不安になる茂木健一郎ファンもいるのではないだろうか。
しかし、心配無用。扱うテーマは人間の本質に迫っていく。
「愛とは『他』への働きかけであり衝動であり、その源は『知りたい』『わかりたい』と思わせる空白、すなわち『脳の中の不在』であるといってもいい」
(P.104)
その「不在」を明らかにし、無から有を生じさせ能動的なな生き方をカラヤンは音楽において貫き通した。
生涯まつわりついたカラヤン批判なんか、カラヤンにとってどうでもいいことだったのかもしれない。
「人間は、日々のやっかいな出来事に足を取られる生き物だ。そうした人生の浮き沈みに心を奪われ眼まで曇らせてしまっては仕方ない」(P.105)
茂木健一郎の著書には、時折、小林秀雄の名が引用されることが多く、本書も例外ではない。
そして、茂木健一郎の著作自体に、いつも小林秀雄節が感じられる。
カラヤンと小林秀雄。このふたりの巨人を同時に敬愛する読者がいたら、おそらく、茂木健一郎を読み続けるのではないだろうか。
小林秀雄は「非論理」的だと批判され、カラヤンの音は美しいだけだと言われたり、商業主義と言われて批判されてきた。 しかし、当の本人は、そんなことお構いなしに自分自身であり続けた。
この本をきっかけに、カラヤンと小林秀雄へと興味を広げてみたらどうだろう。個別に読むのではなく、自分とカラヤンと小林秀雄をつなぎ、レガートを奏でるように。
カラヤン再発見!
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ヘルベルトフォンカラヤン。
クラシックの帝王として、カラヤンの名前は知っていましたが、実際にカラヤンの音楽をちゃんと聴いたのはこのCDが初めてとなりました。
もぅ、度肝を抜かれる美しさです!!!
感動してしまいました。
脳科学者の茂木健一郎氏が選曲し、本を執筆されているのですが、どちらも素晴らしいです。カラヤンに対する愛が溢れています。
特にCDの選曲が最高にハイセンスでびっくりしました。
まるで無数の星が煌めく宇宙空間に投げ出されたかのような、天空にたなびく青緑のオーロラを仰ぎ見ているかのような、神秘的で甘美で崇高な音楽の「レガート」!
ストラビンスキーの春の祭典では地球の鼓動を、ワグナーのトリスタンとイゾルデでは永遠なる時の流れを感じました。
私にとっては宝物です♪
皆様にもお勧めの本&CDだと思いマス(^-^)ノ‾‾
カラヤンは永遠なり♪