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NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ

価格: ¥1,404
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: NHK出版
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不発・・・ ★★★☆☆
みなさん評価は高いようですが、私は不発だったと思います。

わたしは商売柄、次の不安からこの本を買いました。「Googleは果たして新しい権力になるのか」と。

しかし語られているのは、建築や都市デザインの話ばかり。たしかにポストモダン建築については総括が必要でしょう。マーケッティングの調査結果が建築を凡庸にしているという指摘もするどい。しかしこういっては何だけど、建築はたかが建築。気に入らなかったらその場所に行かなければいい。ダメな建築は人が寄り付かなくなって、メンテナンス不良であっというまに古びて立て替えられる。形あるものはやがて滅びるのです。

ところがネットワークは違う。姿は見えず、形もなく、これから先人類が滅びるまでネットワークは生き続けるでしょう。そのような深刻な問題意識が共同討議のパネラーには希薄で、私の問題意識とはかなりはなれたところで議論が進んで、結局は先細りになって終わってしまったように思えます。

一方収録されたエッセーにはネット上の権力という問題意識ははっきり表れているのですが、ハードウェア上に固定化された権力を、ネットのコミュニケーションの力によってフィードバックすることで緩和する、という予定調和的な結論しか見出されていません。

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)が告発するアメリカの現状を見れば、問題はすでに権力が自由を抑圧するのをいかにして避けられるかというレベルではなく、いかにして見えない搾取からのがれて適正な資源配分を行うか、というところにあるでしょう。にもかかわらず経済問題についての視点はゼロ、編者たちの意識はインターネットのダイナミズムに安住しているようです。

巻末のおまけについている「東・宮台、北米講演旅行レポート」では「『批評空間』はもう古い、これからはオタク批評の時代だ」と言上げしているようですが、私は「何をのんきなことを」といいたくなりました。広告してまわれば評価が上がるというものではありません。はたして20年後、『思想地図』は『批評空間』と同列に論じられているでしょうか。

全体的には大成功では ★★★★★
 東氏もそう自賛しています。
 
 まず、最初のシンポジウムで、議論が崩壊しそうになるのを東氏が必死になってまとめようとしている姿に涙しました。(なんで、浅田彰なんか呼んだんだ?そこまでするなら柄谷行人も呼べばよかったのに)でも、発散する議論の中で、キラリと光る部分も散見され、興味深かったです。
 他には安藤馨の論文も法律的観点からのアーキテクチュアーを論じて新鮮だったし、円城塔の小説も面白かったです。(今ひとつ本書の主題とのつながりがわからなかったが。まあ、文章自体が難解だから仕方がないか)
 最後の、東、宮台のアメリカ講演レポートも、かの国の日本の批評に対する現状がわかってよかった。
 それでは、4冊目に行きます。
猥雑への覚悟(いいとこどりはできない・・・) ★★★★★
いいとこどりの結末・・・
> 次第につまらなくなってしまう
愚は愚と分かっていても・・・
> アドルノの「否定弁証法」(不可能な全体性をめぐる終わりなき思索)
> 都市のように常に新しい人間がわいわいと集まってくる
> 猥雑な空間を維持するためには、互いの顔の見えない匿名性が必要

宮台真司先生
> 全体性を素朴に把握できると考える者と、
> 全体性を把握できないから動的に振る舞おうと考える者と、
> どちらが全体性について適切に理解しているのかという問題です。・・・
> 基本的にコミュニケーションの適切な接続を可能にするような材料を提起できれば、
> 全体性という言葉を使うかどうかはプラグマティックにはどちらでもかまわないのです。
「全体性」⇒ 合理性、公共性、環境、科学、正義
語り得ぬが故に入れ替え可能・・・ 匿名性もいいもんだ(笑)
円城塔の短編あり ★★★★☆
思想誌なんて、最近ほとんど読んでないけど、これは第1巻から読んでいる。内容は、よく分らないけど、たまには、こういった難しい話もね。

今号の特集は、アーキテクチャ。もともと多義的に使われているこの言葉なので、建築のことやら社会制度のことやら、ごちゃまぜで、ちょっとついていけない感じだったけど、ローレンス・レッシグの『CODE』を読んでいたので、それに引きつけて、理解しようとした。

もともと、自分も法律を勉強したし、今は情報システムの仕事をしているし、地方自治体で条例をつくったりもしていたので、彼の議論は理解しやすい。

アーキテクチャ的なものは、今に限らず、昔からあったように思う。それが、インターネットの発達によって、より簡単に人々の行動を規制できるようになっただけだ。アーキテクチャですべてを規制できるわけではない。アーキテクチャの変化のプロセスまでをアーキテクチャ自体に内包させるということであれば、理解できるが、それは結局プロセスをどう規定しておくか、ということだけになりそう。というか、そこには新しいことなどなさそうな気がするが。レッシグはこういうこと言ってたのではない気がする。

なんか、アーキテクチャについては自分の誤読っぽい。

今号でほかによかったのは、円城塔の短編が収録されていたこと。フィクションがなぜこの本にというところはあるけど、SFファンとしてはうれしい。相変わらず、難解だけど...
統治技術としてのアーキテクチャ ★★★★★
 ここで言う「アーキテクチャ」とは「建築」のみを指すのではなく、「社会設計」「コンピュータ・システム」をも含め、「現代社会において人間の生活にいつの間にか入り込んで人々の行動を制御する、工学的で匿名的な権力の総称」として使われている。

 共同討議「アーキテクチャと思考の場所」では、建築家代表として磯崎新氏が参加しており、孫ほど年が離れた論者たちと議論を交わしている。そこで磯崎氏は、90年以降に建築という概念が拡張していくことを指摘し、元世界銀行総裁のポール・ウォルフォウィッツが建築家という肩書で新聞に出たことに触れ、「政治的なあるいは経済的な社会構造全部を含めた構想を組み立てていく人間」を広く建築家と呼ぶようになったとする。

 さらに2ちゃんねるアーキテクトとしての西村博之氏に話題が及ぶ。西村氏は「ネット・コミュニティを作りたいんじゃなくて、ネット上の都市のようなものを作りたい」と述べ、その「匿名性」に注目している。

 共同討議とは別に、若手建築家代表?として、藤村龍至氏による論文「グーグル的建築家像をめざして」が掲載されており、そこで藤村氏は、与条件を深く読み込んだ建築としての複雑さを維持しつつ、スピードと両立するために開発・実践している「超線形設計プロセス論」という方法論を紹介。具体的に言うと、設計履歴を残すことによって、専門家の暗黙知を共有可能な形式知に変え、設計に関わる人々の集合知を形成しようとするプロセス。

 理論社会学専攻の鈴木謙介氏は論文「設計される意欲」で、アーキテクチャとは「人々に不自由感を与えることなく、設計者の思い通りに人々を操作する統治技術」としているのは、映画:マトリックスを思い起こさせる。

 その他にも多数の論文が掲載されており、現代思想に関する知識に乏しい身には理解しづらい専門用語も見受けられるが、同世代の論者たちが現代社会を様々な視点から読み解く内容は非常に刺激になる。