放浪の日々の果てに彼女は自分が自閉症であったことを知る。自分がなぜ人と違っているのか、自分は何者なのか── 過酷な日々を通じて問い続けたドナは、自閉症者の内面の世界を鮮烈に描き出した。それは「普通の」人々には想像もつかないほど奇妙で、しかし独特の豊かさを備えた感覚の世界だった。
それから10年、本書はウィリアムズの手記の3作目にあたる。3作とも「自閉症だった私」という過去形のタイトルがついているが、彼女は自閉症でなくなったわけではない。世間の人々とのずれは存在し、気をつけていないと動転したり、奇妙な衝動にわれを忘れてしまう。そんな日々のなかで彼女は、やはり自閉症のイアンと心を通わせ、失った「家族」を見いだそうとする。
ドナとイアンの恋愛── それは痛ましいまでに不器用で繊細な魂のふれあいだ。2人は自分を混乱させる不安やとまどい、防衛心や強迫観念と戦いながら、自分の感覚を確認し、少しづつ近づいていく。それが本当に自分のしたいことなのか、望んでいることなのか。ひとつひとつを確認しながら、どこまでも純粋に、真実を求めて手探りを続ける。そうしてついに2人は「結婚したい」という言葉を自分自身の声で言い、それを真実だと確信する。ここまで真剣な結婚がかつてあっただろうか。
これは特殊な感覚をもった1人の女性の感動的なドキュメントであるとともに「普通」の私たちが見失いがちな真摯な愛の世界を描き出した物語でもある。 (栗原紀子)