社会を変えるか自分を変えるか
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本書は、美容整形のメッカであるアメリカにおいてその技術、団体、そしてそれらに対する一般大衆の意識がいかに変わっていったかを、19世紀末から現代にかけて、『ニューヨーク・タイムズ』などの新聞、雑誌、医療専門誌などの数多の記事を元に論述した、エリザベス・ハイケンによる四五〇ページ以上の力作だ。
美容整形のイノベーションの陰に第一次大戦があったということや、そのころの整形外科医にはその技術を安易に美容整形に応用するまじというプライドがあったのは興味深い。それは「自分たちの技術は欠損を抱えた人を治すためのものであって、健康体をいじくるためのものではない」というプライドだ。そんな彼らの免罪符になったのが、アドラーをはじめとする心理学の流行で女性の肉体にまつわるコンプレックスが「劣等感」という症状として「お墨付き」をもらったことによるというのも、注目に値する。
また本書が描くのは、アメリカに敷衍する過剰なまでの美への「飢え」である。特に女性は美しくあるのとないので経済的な格差にまで発展するほど、社会から美を求められるのは、どうやら今も昔も同じようだ。しかしその一方で社会が、整形という金で美しくなる方法に手を染める女性へは蔑視を向けるというダブルバインドがそこにあることも、本書は見逃さない。
さらに人種の問題にもまなざしが向けられる。昨年惜しまれながらこの世を去ったマイケル・ジャクソンがなぜあれほどまでに整形に固執したのか。背景には、アメリカ人の美、というよりももはや均質さへの執着ともいうべき「異形の者」への排除の視線があったのだ。
女にとっては生きにくい社会を変えようとしたフェミニズムと、社会に受け入れられるように自分の側を変わることである美容整形。同じ女性解放の道でありながら、そのあり方は対局にある両者のうち、前者が没落する一方耐えることない医療事故にも関わらず今だに施術を望む患者が後を絶たない後者を眺める著者のまなざしは、最後まで複雑だった。