ハイデッガー技術論の先駆性に鳥肌が立つ
★★★★★
ハイデッガー関係の著作というと、殆どが「存在と時間」を中心に書かれていて、後期思想に触れているものも多くはないのですが、その中でも技術論について触れているものはもっと少ない。あっても、訳語が独特というか、秘教的だったりして(笑)、なかなか一般の読者が手に取りやすいものが少ないのが実情です。その意味で、本書はコンパクトながら貴重な一冊といえるでしょう。
当初、日本人研究者による技術論関係の論文集と思って購入したのですが、他の評者の方も指摘されているように、論文の「補遺」という形ながら、約40ページのボリュームでハイデッガー本人の技術論関係の論文がまとめて掲載されているので、大変便利です。しかも、「技術論の萌芽(1928〜1937年)〜ピュシスの非・自然化としての技術」「技術論の展開(1938〜1946年)〜総動員国家と技術」「後期技術論(1949年〜)〜ゲシュテルとサイバネティックスの時代」という風に、時期と思想内容に応じて3つに分類されているので、あえて研究者の文章に頼らなくても、自分でハイデッガー本人の思想の展開を追いつつ理解していくことも可能です。
改めて読み直してみて感じるのは、ハイデッガーの近代技術に対する洞察の鋭さです。ナチにコミットしたことを批判されるハイデッガーですが、論文の中には露骨にナチをコケにしたような文章もあり、1940年にはコミュニズムの自己破滅すら予言しています。また1960年代には、モールス信号の点・線の記号の配列を引き合いにしながら(=2進法デジタル信号のプロトタイプ)、コンピューター時代には「言語」(=存在の家)が技術によって規定されることを指摘し、さらに途上国への開発援助が先進国の貿易競争でしかないことや、生命科学による人間の種の技術的操作の可能性、産業と軍人の結託(=軍産複合体)への言及まであり、その先見性には鳥肌が立ちます。
編者を含む日本人研究者の論文も、ドイツ語原文を丁寧に参照した信頼に足るもので、類書が少ないだけに本書の価値はますます高まるでしょう。