骨太な古典
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オリジナルは1946年、ドラッカー36歳の時の第三作。ぼくはこの本の前書きの中国についての決定版の喩えが非常に気に入っている。
1960年代に入ってからニューヨーク大学時代に書かれた『創造する経営者』や『経営者の条件』の方がマネジメントという観点からは氏の代表作とされるのかもしれないが、それ以前のGMと対等にやり合いながら書いたこの本のほうがずっと骨太で傑作だとぼくには思える。2005年2月に日本経済新聞の『私の履歴書』をドラッカーが連載していて、自らの半生を振り返りながら書いている内容とこの本を交互に読み進み実に面白しろかった。『私の履歴書』の方も纏めて欲しい素晴らしい内容だった。
リリース当時GM内ではこの本はあたかも存在しないかのように扱われ、経営に完全にタブー視されていた。ところが、トヨタやGEはこの本の内容に着目し実践を始める。かくてドラッカーの『経営学』はその正しさは、採用した企業の成長と無視した企業の凋落という厳しい現実で示されたと言えるだろう。
大量のMBA取得者発生も、『民営化』という言葉も(これは英国保守党の基本政策にもりこまれたのがそもそもの始まりだ)、『経営学』という言葉や『マネジメント』という言葉すらも全ての起源はピーター・ドラッカーにある。品質管理(QC)の概念を持ち込んだエドワード・デミングもニューヨーク大の同僚だ。経営というものの起源を知るなら外せない一冊だろう。名著。
若きドラッカーの情熱が”マネジメント”を生んだ
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『経済人の終わり』で政治・経済を、『産業人の未来』で社会を扱ったドラッカーが
いよいよ経営学の分野へ足を踏み入れた記念碑的作品です。最近のNHK番組でファ
ーストリテイリングの柳井さんが『わがドラッカー流経営論』を語っておられますが、
その番組にも代表作として取り上げられていました。
円熟した中後期の作品に比べれば荒削りなのかもしれませんが、何より若い情熱が伝
わってくる点がすばらしいと思います。若きドラッカーが、人間を幸福にするべき産業社会
の中核組織=企業を成立させるために不可欠なものとしてマネジメントを構築しようとした
ことが分かりました。その結果は、彼のその後の著作と歴史が証明するとおりです。
企業の社会的責任
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本書は1946年に書かれたものですが、今でも十分に通用します。
ドラッカーは、
まず「経済人の終わり」で全体主義(ナチスドイツとソビエト連邦)が
人を不幸にすることを説きました。
次に「産業人の未来」で企業が多様性のある社会を確立・維持・発展
させていくための中核的存在になり得ると説きました。
そして、本書は多様性のある社会の中核的存在として、
企業は自らの社会的責任の範囲と限界を明確に定義し、
その責任を果たしていくためにマネジメントする必要があることを説きました。
現在、様々な企業の不祥事で社会的責任(CSR)が問題になっていますが、
ドラッカーは、もっと深いところで社会的責任の重要性を訴えています。
ドラッカーの言葉を借りれば、不祥事を起こしている企業には、
権力の正当性がない、そして存在意義がない、ということになります。
企業について、考える際には、これらの初期3部作を読まれることをお薦めsます。
そして、ドラッカーはこれらの3部作を踏まえた上で、
企業の社会的な責任を確実に果たす事ができるように、
経営の世界に入っていったのです。
そこで生まれた書籍が「現代の経営」「マネジメント」です。
ドラッカーは経営の神様として有名ですが、
ドラッカーのマネジメント本を読まれる前に、
この初期3部作で彼の思想をおさえておくことをお薦めします。