宿命か?
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「大正デモクラシー」として、官民両方における運動のありさまをえがく。
専門的なことに精通しないと分からないことだろうが、これだけの民衆運動がありながらその後の軍部政治へ向かってしまったのはなぜだろう、と思うのである。
歴史というのは一種の生き物(人文系はみんなそうだろうが)で、考えてもそれほど完全な結論には達しないものである。
植民地体制といくつかの戦争を経て、日本人全体が軍に靡くようになってしまった、とも言うことはできる。実際朝鮮での民間商人の独善性も本シリーズで書いてある。
吉野作造や美濃部達吉、矢内原忠雄などもいた。
おそらく、日本人の「上様の言うことに従う」という性格なのだろうか。だが国全体の性格など云々できるのか。
我々が学べるのは、現在は常に過去になるのであり、それは取り返しのつかないことなのだ、ということでしかないのかもしれない。
日本の拡張主義を垣間見る
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第二次世界大戦後の、経済的な拡張主義に対して、
本書の当時は、政治的にも拡張主義だった。
2つの時代を比較して理解するうえで、
本シリーズは貴重な情報提供源だ。
新書という軽い形をとっているので、
日本史嫌いの自分でも読む気になった。
帝国の大衆社会化の下での多様なデモクラシーの諸相
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1951年に生まれた日本近現代史研究者が、2007年に刊行した本。大正デモクラシーの語は非常に多義的な内容をもっているが、著者はそれを1905〜1931年の大日本帝国の下での日本社会の大衆社会化のありようとして定義する。また本書では、多様な民主主義のありようと同時に、ジェンダーやエスニシティの問題、デモクラシーに内在するナショナリズムの問題等に関する研究の進展が踏まえられている。日露戦争後の都市民衆騒擾をきっかけに、民本主義の潮流として台頭した大正デモクラシーは、第一次世界大戦やロシア革命を契機に加速し、旦那衆・雑業層・労働者・農民・女性・被差別部落民・植民地住民を担い手とする、それぞれの立場からの「改造」の諸潮流を生み出した。それらは政治思想としては、民本主義、マルクス主義・社会主義、国粋主義という3つの主張に大別しうるが、それらの担い手は互いに重複してもいた。こうした動きによって、普通選挙法と治安維持法による1925年体制が創出されるが、満州事変は日本社会内の対立を先鋭化させる傍ら、対立を消去してしまう挙国的な論調をも作り上げ、日本は大正デモクラシーにもかかわらず、またある意味ではそれゆえにも、戦時動員の時代に突入してしまう。著者はこの大正デモクラシーの二面性(それは冒頭で吉野作造の二面性として、象徴的に問題提起されている)に注目し、特にその帝国主義批判の不徹底性を重視しているようだ。本書はこのように、最新の研究成果を踏まえつつ、具体的な事実と明晰な論理により、内地・植民地の多様な民衆の動向と帝国レベルの政治の双方に目配りをし、それらを総体として捉えることに成功している。個々の事実が典型的なものかどうかという疑問や、若干論理が抽象的に感じられる部分も無いではないが、コンパクトに時代状況が分かる本。
大正デモクラシーの展開と「普選・治安維持法体制」への道程
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日本近現代史シリーズ第四作である本書の検討対象は日露戦争後から満州事変までの四半世紀にある。膨張を続けてきた「帝国」日本。だが、その内側では社会の構造変動により様々な矛盾が現出し、様々な階層による旧来の社会構造と秩序に対抗して運動が展開されるようになっていた。本書の描くものは、そんな民衆運動とそれに対する国家の側の統治の再編の様相である。
膨大な数の当時の新聞・雑誌史料などの社会史史料を渉猟し、雑業層や旦那衆、女性ら様々な主体が政治的に意識化されていく過程が見事に描き出されており興味深いものがある。
また、朝鮮・台湾植民地における日本をヒエラルキーの頂点とする外地社会の様子、関東大震災下における朝鮮人虐殺の背景も描かれ、「帝国のデモクラシー」としての「大正デモクラシー」という一面が描かれているが、それは今も昔も美化されることの多い大正デモクラシーについての決して看過できぬ一面であろう。
雑業層や女性らが「国民」として国家の側に自己同一化しつつ時の政権批判を展開した「大正デモクラシー」の運動には、1930年代における戦時動員につながるものがあるという指摘は重要である。著者も言うようにデモクラシーのあり方が問われている今現在だからこそかつての大正デモクラシーの成果と限界についてきちんと再検討する必要があるのではないか。そんなことを考えさせられた一冊であった。
「民衆」が国を動かす時代
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シリーズ第4巻がカバーするのは、日露戦争直後から満州事変直前までの約25年。
著者は、日比谷焼打ちや米騒動などを取り上げ「『民衆』が世の中を動かし始める時期」という切り口でこの時代を定義し、大正デモクラシーの推移を解説していきます。
この時期は、ラジオ放送の開始や「モボ・モガ」に代表される文化面での近代化(現代化?)が急速に進んだこともあり、だいぶ現代につながってきた印象があります。
一方、政治に関しては、政党内閣の発足や選挙権の拡大など、まさにデモクラシーの発達が進んだ時期で、韓国・台湾を植民地化したものの、軍縮にも取り組むなど、軍部の暴走はまだあまり見られません。
私はどうしても近代史を、太平洋戦争を出発点(大前提)にして時代をさかのぼって(いわば演繹的に)見ていってしまいがちですが、本書を読むと、大過去(明治維新あたり)からの事象の積み重ねで(帰納的に)歴史をみることができ、新しい視点を与えてくれます。
この後、なぜ軍部が暴走してしまったのか、止めることができたのではないか、という思いを改めて強く持ちました。
このあたりは、次巻に詳しいようなので、シリーズの今後に期待したいと思います。