ゴミと都市と死 この3単語の並列は魅力的である
★★★★☆
舞台という架空の空間では、どんな設定も許される。
登場人物は売春婦、そのヒモ、金持ちのユダヤ人(地上げ屋)、
その取り巻き(おべんちゃら使い)、警察署長、マリー=アントワネット、etc.
これらは作者が都市住民を代表するものとして選りすぐったもの。
「都会は冷たいんだ、そこで人が凍えるのもむべなるかな。なぜ奴らはこんな都会を作るんだろう。」
「肝心なのは無関心だ。たとえ子供たちが泣こうと、老人や弱者が苦悶の声をあげようと、
私は無関心を通さなければならないのだ。」
「いつもこんなゴミ溜めの中に埋まっていると、それを求めてしまうし、それが安心になるんだわ。」
「正しい度合いで誇張すれば必要な表現にもっとも近づくんだ。」
「真実は痛いもの、嘘だけが生き延びる力を貸してくれる。」
「根っこは全て昔のまま残っていて、それでこそ秩序は保たれる。後はただ待つだけでいい。
――ファジズムは勝利するだろう。」
現実と虚構、真実と嘘、詭弁と本音、聖と濁、正義と不義、
これらが目まぐるしく入れ替わり、読者に絶えず自分の立ち位置が正しいかを問いかけてくる…
都市の成長とはすなわち人類の成熟であり、生活に安定をもたらすもの…
ならばなぜこんなに破壊がくり返されるのか。
現実世界では、安定は指の間をすべって手から離れ、我々は豊かになったのではなく、
「慣らされている」にすぎない。
誰もが渇望感にあえぎ、誰もが幸福感だと思っているが実は絶望感に支配されている
−−そんな救いのない読後感が残った。