20年待たされて
★★★★★
大学の卒論にロラン・バルトを選び、彼のラシーヌ論を読もうとしたのですが、挫折しました。文章が難解な上、記号学や精神分析の用語がたくさん出てくるし、古風なラシーヌの引用文が盛りだくさんで、大学生の語学力で歯が立つ代物ではなかったのです。幸いクローデル研究の泰斗、渡辺守章氏が翻訳を始めているという噂を聞き、その発表を待つことにしました。
そうしているうちに20年が経ってしまいました。
この本を書店の棚に見つけたとき、笑い出してしまったものです。
しかし待たされたかいはあったと思います。凝りに凝ったバルトの文章をこなれた日本語に移し替え、ラシーヌの引用文もわかりやすく、数あるバルトの翻訳の中で、この本が最もすぐれた翻訳だと思います。積年のうらみ、一気呵成に読んでしまいました。
巻末に付けられた解題もきわめて充実しています。この書が発表されたときフランスで巻き起こったバルト−ピカール論争、その歴史的意味が詳細に論じられていて、時間をかけた研究の成果だと思います。本当の翻訳というものは時間がかかるものなのですね。
ただ、いかんせん日本ではラシーヌはなじみがうすい。そのためバルトの著書の中では最も人気がない本になっているのでしょう。良書であるだけにつくづく残念です。
構造主義以来、日本でもちょっとサブカル的な話題を記号学や精神分析で味付けしただけの軽薄な評論がふえましたが、本書を読むとバルトがフランスの古典研究の蓄積をきちんと消化し、アランやチボーデなどの伝統的なフランス批評の層の厚さの中で発言しているのだということがわかります。バルトって、意外に教養人だったんですねえ。
バルトについて大人の読み方をしたい人にはお勧めです。