より簡潔で自然な口調の訳に
★★★★★
チェホフの『三人姉妹』は、20世紀演劇全体の中でも特筆すべき傑作だ。人間存在の根本にある"滑稽さ"を曇りなく見詰めており、リアリズム演劇から不条理劇へ一歩踏み出している。人々は、自分の不満を訴えることには熱心だが、他人の話はちっとも聞いていない。誰もが雄弁に語るわりには、対話は成り立っていない。これはまさに我々自身の姿ではないか! 浦氏の新訳は日本語の切れがよく、上演にも向いている。たとえば、中学教師クルイギンと妻マーシャの対話を、既訳と比べてみよう。小心者の彼は妻の不倫を知っているが、知らないふりをして、じっと耐えるしかない。そういう夫を、妻は、ラテン語の動詞「愛する」の人称活用形でもって弄ぶ。「[クルイギン]いま帰るよ。私のすてきな、すばらしい奥さん。私は愛しているよ、かけがえのない奥さん。/[マーシャ](腹立たしげに)愛さない、愛します、愛する、愛するとき、愛すれば、愛せよ」(ちくま文庫、松下訳)。「[ク]いま行くよ。私の大事な、すばらしい奥さん。私は愛しているよ、かけがいのない、私の奥さん。/[マ](憤然と)アモ、アマス、アマト、アマムス、アマティス、アマント」(神西訳、新潮文庫)。「[ク]じゃあ、私は帰るよ。ぼくの奥さん、すばらしい奥さん。愛しているよ、君はかけがいのない女性だ。/[マ](苛立って)愛す、愛すれば、愛するとき、愛するなら、愛しても」(本訳)。