ヨーロッパからアメリカに流れてきたインテリのハンバート・ハンバートは、少年時代の失恋相手がいまだに忘れられない。12歳のドロレス・ヘイズという理想のニンフェットに出会った彼は、彼女を誘惑しようと手の込んだ策を練るが、当面の問題は彼女の母親をどうするかということだった。そんな悪巧みもなんのその、ハンバートの病的な夢想よりも現実は厳しく、ロリータはハンバートの理想とする完璧な恋人になることを拒む。
内容と同様に、言葉遊びや隠喩による謎かけがなされるなど、表現技法でも常道からの逸脱を試みているこの小説は、ナボコフが1955年に発表したもので、母国語ではない言語に対するロシア生まれの作家の歓喜を表した「賛美の歌」といえるだろう。実際、言葉の端々に見られる隠喩を完全に読み解きたいと思えば、注釈版を参照する必要がある。たしかに『Lolita』は大胆なまでにエロティックであるが、それは、「淡い蜂蜜(はちみつ)色の肩…しなやかな絹の背中」の少女より、ハンバートが自らの禁じられた欲望を語る、過剰なまでに華麗な文章に起因する部分が大きい。
音楽のような、甘酸っぱい林檎のような声。…ローラ。大人になりきっていない女の子。太古からの果実をむさぼり、果汁を口に含んだまま歌う…彼女の動作のひとつひとつが、ほんのわずかな動きが、野獣と美女の間の、抑圧されて爆発寸前の野獣と、純白の綿のワンピースをまとった、体にくぼみのある美しい少女の間の、秘められた触れ合いを隠蔽し、秘めごとをさらにいっそう謎めいたものにしてくれる。
しかし、この小説のシンボリズムがいかに魅力的なものであるにせよ、最大の魅力と悦楽はハンバート・ハンバート自身にある。本人が語っているように、ハンバートは人目を忍んでこそこそするようないかがわしい人物でもなければ、無垢なものを踏みにじるようなゆがんだ心の持ち主でもない。むしろ、ナボコフの代弁者として名高いハンバートは、地に落ちた状態にあってもウィットと分別を忘れない。彼にとって言葉遊びは、抑圧された性的衝動を満足させることと等しく重要なのである。