インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

時の旅人 (岩波少年文庫)

価格: ¥882
カテゴリ: 単行本
ブランド: 岩波書店
Amazon.co.jpで確認
ちょっと退屈かな? ★★★☆☆
中学生向きになってるけど中学生には子供っぽいし
小学生には退屈かもしれないと思います。

悪くないんだけど、翻訳があんまり好きではないかも。
わくわく感があまり私は感じられなかったです。
時空を越えた存在と共に生きるということ ★★★★★
時を旅する者には共通点があるように思う。

今の世界では、病があって静養に来ていたり、
今の人生で生きづらさを感じていたり、
何か事情があって都会から離れて田舎に来ていたりする。

たいてい田舎なのは、舞台としておあつらえ向きの
長い長い時を記憶している場を持つからであろう。

時代は変わりそこに生きている人は変わったけれども、
自然や家はそのままそこに残っているような場所。

本書で時の旅の舞台となるのは、サッカーズである。

  サッカーズの屋敷や納屋の空気は、
  その昔に見たりきいたりしたことをおぼえていて、
  その恐ろしさや不安やよろこびにふるえていました。

著者の前書きは、すでに物語りに入っているかのような雰囲気を持つ。

物語は、著者の夢をもとにしているという。

サッカーズに静養に来ていたのは著者自身なのだ。

ヒロインのペネロピーは、著者自身を投影した存在であるともいえるだろう。

一番最初に刻まれている日時計の銘がとても印象的である。

  時あり 

  時ありき 

  時あらず 

  −日時計の銘

現在形、過去形、否定文が、静かに並んでおり、
どういうメッセージを持っているのだろうと考えさせられる。

英語で全文を読むのに挑戦してみたかったというのもあるが、
この部分が原文はなんて書いてあるのか読んでみたくなり、原書を入手した。

  Time is

  Time was

  Time is not

  - Sundial Motto

現在形が過去形になったときに、
時間の境界線を、
あるいは、生死の境界線をも
踏み越えているような。

be動詞の圧倒的な存在感を感じた。

ペネロピーは、時の境界線を越えることができるのだが、
そのとき象徴的に使われるのが音やにおいである。

今の時代と過去とまったく同じものがつながっているとは限らないのだが、
音やにおいの中で時代が静かに溶け込み合っている。

  それよりも強いのは、薪の煙と干草の山と、
  そして、古い古い時代とが、分かちようもなくまじりあって
  かもしだされた、古い屋敷のかぐわしいにおいです。

  こういうにおいと音のすべては織りあわされた
  光と闇、影と悲劇とともに、
  これからおはなしする物語の一部になっています。

そして、彼女自身に流れている先祖から注ぎ込まれた血。

彼女はその一族の風貌を特徴的に有していたため、
過去に戻った先でも、チェルシーから来た親類ということで
居場所を得るのである。

使用人のようで、主人的な立場の者にも自由に話しかけられるような
そこ時代の関係性や立場に囚われない者になる。

  私は、過去のできごとと、現在のできごとと、未来のできごとと、
  そのどれもの一部分であって、そのさまざまの時の中にいて、
  自分のすきなように、自由に動けるかのように思われました。

彼女が、過去に戻るときは、彼女の時計は止まる。

過去の世界でいろいろな経験をするのだが、
そのとき彼女の現在の時間は一秒も進んでいないのである。

  その一秒のあいだに、
  私は、ここでは目に見えない人々と同じ空気を呼吸し、
  その人たちの世界のすばらしい雰囲気を分かちあい、
  危機感で緊張した生活をし、
  そういうことをぼんやりとおぼえている状態で、
  もとのところへもどってきていました。

そして、彼女は、どんなに過去に行くことができても、過去は変えられない。

過去の人物が無くした物を見つけたとしても、
過去の人物に返してあげることはできない。

ペネロピーが時を越えても、原則的には物は時を越えないのである。

それはどこか読書という行為にも似ている。

過去に書かれた作品であり、著者が亡くなっていたとしても、
読者にとって読んでいる今が今だからだ。

だが、同時に作品世界は過去であり、読むことで、
そこにいることはできても起こる出来事を変えることはできない。

作品の中で起こることは変えられないが、
読者はその作品の世界に共感することができる。

その作品の世界が存在することを知ることにより、認めることができる。

それは、過去に生きているものたちを今によみがえらせることなのだ。

こちらが覚えているかぎり、その世界は存在する。

こちらが行こうと思えば、いつでも行ける。

  未来は私たちのまわりにあるの。

  ただ、あなたには見えない。

  私は過去の者でもあるの。

  過去にも生きているのよ。

  だって、こうして、あなたと過去を共にしているのだから。

  未来も過去も、両方ともが“今”なのよ。

ペネロピーは、懸命に生きる過去の世界の人たちの生き様に共感している。

  あの人たち―かくされた世界の影のような人たちがいました。

  みんなの目には見えない世界で、
  いっしょうけんめいに生きている人たちでした。

  その人たちの生活には悲しみとよろこびがぎっしりつまっていました。

ペネロピーが想う相手は、
ペネロピーが時を越えた時は共にいることができるが、
本質的には300年の時を経た時代を生きている。

ペネロピーは先に起こることを知識として持っていて、
ときにそれを口走るのだが、
それは占い師の不吉な予言のように取られるし、
正しい忠告として伝えることができない。

それは、どんなにか切ないことだろう。

ペネロピーが最後に思う、想い人と再会する道は、
確かにその通りであると思うのだ。

だが、それに加えて、彼女のことが想い人の記憶に残り、
想い人の記憶が彼女の中に残ったこと、そのこと自体が、
共に生きることなのではないかと、私は思う。

互いの記憶が互いの中に場所を持ち生き続けるかぎり、
彼らは共に生きているのだ。

例え時間が彼らを隔てても、場所が彼らを隔てても、
彼らの実際の時空間の共有がほんの一瞬だったとしても。

彼らは覚えているかぎり、永遠に一緒だ。

そういう風に共に生きることが可能なのである。

私たちは、それぞれ自分が主人公の物語を生きている。

生きられるのは自分の物語である。

変えられるのは、自分と今だけなのだ。

そんな視点で自分を眺めると、
自分をしっかりと生きようという思いでいっぱいになる。

そして、周りのすべての人を、
自身を主人公とする物語を生きる者として尊重しようと思うのだ。
とても悲しく優しい物語 ★★★★★
イングランドの何百年も続く農園(荘園)を舞台に、今と三百年前が重なる時を歩む少女のファンタジー。
エリザベス一世の時代の王家の権力争いの悲劇を背景にしていますが、特に大きな冒険譚があるわけではありません。
三百年前も今も変わらぬ農場の営み、美しい自然の移ろいの中で、悲劇の中にある過去の人々との交流、別れが淡々と描かれています。
悲しい、けれど優しい気持ちが沸々と満ちてくる、とても良い物語です♪
映画でもみてみたい ★★★★★
レビューを書かれた皆さんと同じ思いです。すばらしい。若草物語や赤毛のアンのように読み次がれていく本でしょう。その時直してほしいことが少しですがあります。階段を下りるではなく上る、好きではなく顔が似る、あっちではなくよそ者、鶏の奥さん役というよりは単に餌さ係、注釈ではバラムのロバです。秘密の通路のありかを何故伯爵が知っているかといえば、メアリー女王が幽閉されたいくつかの場所が伯爵の持ち物だったからという注釈があったほうがいいかなと、おもいました。読んでいてメアリーに嫉妬するハードウイックのベスにも興味がわきましたし、弟のフランシスがいうように、きっとアンソニーは権力者にはめられたのだろうと思いました。。自分と同じ高齢者の人に感動を与え、なぐさめとなる物語だと思います。
素晴らしい!の一言です。 ★★★★★
娘の為に選んだ本だったのですが・・・
母親の私のほうが、夢中になりました。
 余韻が、残り・・味わい深い本でした。