極論だが、一読に値する
★★★★☆
著者の小森陽一さん(東大教授)はマルクス主義者で、この本ではそうした左翼イデオロギーが表に出すぎており、全体としては確かに極論である。しかし、村上春樹の作品における女性嫌悪(ミソジニー)の問題についての指摘など、参考になる分析も数多く含まれており、村上春樹の作品を批判的に読む上では、一読に値すると思う。
「海辺のカフカ」をモチーフにした創作のように感じました
★★★☆☆
「海辺のカフカ」の読者の多くが、物語に「癒し」を感じたと言い、それに違和感を感じる筆者が、「海辺のカフカ」のモチーフや引用される物語(「オイディプス」、「千夜一夜物語」、カフカ「流刑地にて」、漱石「虞美人草」「坑夫」)との関連を読み解き、「海辺のカフカ」に隠された真のメッセージ、村上春樹の思想を解明するといった内容でした。
それによれば、「海辺のカフカ」は社会的タブーの肯定、女性嫌悪、戦争犯罪の見過ごしなど、癒しどころか危険な思想を持った物語であるということ。筆者は、推察ではなく、ほぼ断定しています。正直、私はそこまで「海辺のカフカ」を深く読んだわけでもありませんが、ここまでいくと完全な筆者の創作ではないかと感じました。
村上春樹氏もどちらかと言えば左寄りだと思うのですが、著者から見ると右になってしまうようです、というか、著者の立ち位置からみるとみんな右になっちゃうんじゃないでしょうか。著者の主張が飛躍しすぎてるようでちょっと後味の悪い結論ではありました。
ただ、先にあげたような「海辺のカフカ」に関係する物語、小説は未読でしたので、その説明については、参考になりました。なんか、消極的な感想ではありますが..。
確かに極端だが、「批評」の手法としてはアリ
★★★★☆
「少年が大人になること」を扱った「海辺のカフカ」が、既に大人になったはずの年齢層の人々の間で「癒し本」として爆発的に支持されたことの気持ち悪さ。
その気持ち悪さを、小森陽一は精神分析やジェンダー論の視点で丹念に理屈付けようとしている。その手法自体はとてもまともな「文学批評」だったりするのだけど、その結論では女性蔑視、歴史認識の空虚さ、等などから、この小説の政治的態度の危険さを指摘し、徹底的にコキ下ろした内容になっているがコジツケ臭いのは否めない。しかし、小森陽一自身の歴史認識の細部や理屈の重箱をつついたコジツケ振りは確かに問題があるとしても、「海辺のカフカ」の受け入れられ方・売られ方の気持ち悪さを丹念に理論化していくと、それなりにヤバイものも髪間見ることができることは確かだろう。そういった問題意識で読むとヒントは沢山ある本だと思います。主張(結論)で損してるけど手法は正しいので、村上春樹を批判的に読みたい人のヒントにはなる本ですよ。
ただ、村上春樹氏にとっては、もしかすると作家本人の構想よりも遥かにエディプス・コンプレックスについて細かく読み込まれちゃった挙句に断罪されてしまっていると思うので、いい迷惑でしょうね(笑)。
問題ありすぎる
★☆☆☆☆
村上春樹の評論じゃなくて、村上を一方的に曲解した左翼主張のオンパレード。
確かに村上は左翼脳の作家だけど、作品をそう解釈して論じられても理解できませんでした。
おもしろかった
★★★★☆
すごくおもしろかった。
わたしは「海辺のカフカ」自体には「癒し」は感じなかったけど、その物語的には楽しく読みました。
大島さんがカッコイイし。
でも、この批評も面白かったです。
たしかに、著者の価値観でしかものを言っていないけど、それが文芸批評なのでしょう。
100年後、「海辺のカフカ」をもし読み解こうとしたら、批評家は同じように同時代の事件や、時代の隣接諸科学を拾い上げながら読み解くだろうと思います。
まあ、それで同じ結論に達するかはまた別の問題ですが。
著者の批評方法はとてもオーソドクスなものだし、わたしとしてはその論理に破綻があまり見えませんでした。
だからといって「海辺のカフカ」を嫌いになったりはしないのは、
論理的にこの批評が正しい、理解できる、と思いながらも、それがわたしの「海辺のカフカ」の読後感とは異なるものだからです、たぶん。
でもたしかに、小説「海辺のカフカ」に癒しを感じる人がいるとしたらそれは
自分の罪や起きてしまったことを「どうしようもないこと」と受け入れる部分にだろうなあ、とは思います。
「努力はしたけど、でも起こってしまう(起きてしまった)、それはもうどうしようもない。」
個人的な体験にそれはたしかに有効だけど・・・。