「『呪文』とはなんですか?」
雪童子はいきなりそういった。そう訊ねた自分に、雪童子も驚いていた。
「『呪文』とは、ことばだ」老人はいった。
「『呪文』のことばと、ふつうのことばは違うのですか?」
「違わない。どれも、ことばとしては変わらない」
「じゃあ、どうして、ふつうのことばは『呪文』にならないのですか?」
「それは、ふつうのことばを『呪文』にするやり方を知らないからだ。どんなことばも『呪文』になりうるはずなのだ」
「どんなことばも『呪文』になりうるのなら、わざわざ、『呪文』のことばを覚える必要なんかないんじゃないですか?」
「雪童子、おまえはなかなか頭がいいようだな。あらゆることばは『呪文』になりうる。けれども、実際には、特別なことばしか『呪文』にならない。それは、ことばのせいではなく、それを使いこなせない『術使い』のせいなんだ。だから、我々は、まず、『呪文』として通用していることばを使いこなすことからはじめる。そのことを通して、ことばがどんな風に『呪文』になるのかを知ることになるのだ。そして、未だ『呪文』として目覚めていないことばが、『呪文』となることのできる道筋を探すのだ」
(「水仙月の四日」より)
この文章、まるっきり「さようなら、ギャングたち」じゃないですか。
『呪文』を『詩』に、『術使い』を『詩人』に置き換えてみてください。
僕はこの文章を見て、思わずにんまりしてしまいました。