具体的な内容を少し解説すると、著者であるトムリンソンは、今まのグローバリゼーション論者やジャーナリストの言説に多くみられる、メディアなどのテクノロジーの側面だけを強調し、それを使いこなす「情報に通じた」人間だけに許される文化的体験をグローバリゼーション状況の全体として捉えたり、第一世界のテクノロジー文化の隆盛が地球規模での単一化をもたらすといった考え方をグローバリゼーション状況のほんの一部の側面しか捉えていないとして批判している。そうではなくて、著者は、第三世界の人々ーおよそ「ローカル性が運命である」といわれるような貧しい人々ーにおいても、より広い世界がどんどん侵入してくるようなグローバリゼーション状況を経験していることに読者の目を向けさせるのである。
そこでは、グローバリゼーションの均質性よりも、そのなかで置かれている第三世界の不平等な状況の方が際立ってみえる。しかし、その一方で、現今のグローバリゼーション状況とは、古い西洋の帝国主義とは明らかに異なる「雑種性」という新しい文化を生み出していると彼は主張する。それは、それまで緊密だった物理的な意味でのローカル性との結びつきから、文化的生活を引き抜く状況のことであるといえる。
つまり、筆者の理解するところでは、本書全般を通じて強調されていることは、このようなグローバリゼーションにともなう「脱領土化」の現象は、豊かな西洋の中心地に限られたものではなく、場合によっては、かえって周縁の地域でいっそう強烈に経験されるものであるということである。
具体的な内容を少し解説すると、著者であるトムリンソンは、今まのグローバリゼーション論者やジャーナリストの言説に多くみられる、メディアなどのテクノロジーの側面だけを強調し、それを使いこなす「情報に通じた」人間だけに許される文化的体験をグローバリゼーション状況の全体として捉えたり、第一世界のテクノロジー文化の隆盛が地球規模での単一化をもたらすといった考え方をグローバリゼーション状況のほんの一部の側面しか捉えていないとして批判している。そうではなくて、著者は、第三世界の人々ーおよそ「ローカル性が運命である」といわれるような貧しい人々ーにおいても、より広い世界がどんどん侵入してくるようなグローバリゼーション状況を経験していることに読者の目を向けさせるのである。
そこでは、グローバリゼーションの均質性よりも、そのなかで置かれている第三世界の不平等な状況の方が際立ってみえる。しかし、その一方で、現今のグローバリゼーション状況とは、古い西洋の帝国主義とは明らかに異なる「雑種性」という新しい文化を生み出していると彼は主張する。それは、それまで緊密だった物理的な意味でのローカル性との結びつきから、文化的生活を引き抜く状況のことであるといえる。
つまり、筆者の理解するところでは、本書全般を通じて強調されていることは、このようなグローバリゼーションにともなう「脱領土化」の現象は、豊かな西洋の中心地に限られたものではなく、場合によっては、かえって周縁の地域でいっそう強烈に経験されるものであるということである。
グローバリゼーションとは何かについて知りたい人にとっては、まさにうってつけの一冊である。
この本の中で著者のトムリンソンは、“複合的結合性”そして“脱領土化”などといったキーワードをもとに、グローバリゼーションと呼ばれる現象を解き明かそうとしている。その姿勢はまさしく、A・ギデンズ、D・ハーヴェイ、A・アパデュライ、N・ガルシア=カンクリーニ等とグローバリゼーション研究に関しては現在最も有名な論者達との見解を共有しており、尚且つ本書では大胆にもそれらの見解がうまく総括されている。
ただし、著者の関心のためか、文化またはメディアといった分野における記述が若干多めな印象を受けるが、それを差し引いても、グローバリゼーションに関する議論を網羅した本としては明瞭で且つ読み応えのある、必読の一冊と言えよう。
腰を据えて書いてあるのは、珍しいと思います。