痛いほどの美しさ。救いようのない悲劇。『The English Patient』(邦題『イギリス人の患者』)は、第二次世界大戦末期のイタリアのある修道院を舞台に語られる、4つの破壊された人生の物語である。疲れ果てた看護婦ハナ、障害のある盗人カラヴァッジョ、用心深い土木工兵キップ。そして彼らの心を捕らえる、ひとりの謎に満ちたイギリス人の患者。修道院の2階に横たわる、やけどを負った名前もわからないその男の熱情と裏切りと救出の記憶が、稲妻のように物語を照らし出す。マイケル・オンダーチェは詩的叙情にあふれた文体で、それらの登場人物たちを互いに絡み合わせ、固く結びつけたかと思うと、真実をえぐる鋭い感性で、織り上げた糸をほどいていく。
偉大な文学の要素をさまざまに備えた『The English Patient』は、ブッカー賞を受賞。詩人であり小説家であるオンダーチェの著作にはほかに、『In the Skin of a Lion』『Coming Through Slaughter』(邦題『バディ・ボールデンを覚えているか』)『The Collected Works of Billy the Kid』(邦題『ビリー・ザ・キッド全仕事』)、2つの詩集『The Cinnamon Peeler』と『There's a Trick with a Knife I'm Learning to Do』、そして自叙伝『Running in the Family』(邦題『家族を駆け抜けて』)などがある。
美しく彫琢された物語
★★★★☆
スリランカ出身の作家マイケル・オンダーチェがカナダで発表した長編小説。
ロマンチックな筋書きと肌理細かな情景描写、人間の個性と心理を浮き彫りにするイマジネーションには賛嘆措く能わず。
彫琢を極めたダンディな文体には、完璧な父性とも呼べるような一種の理想が表現されており、懐の深い言い回しは読み手の心に静謐な時の流れを呼び戻す。
地理や歴史、戦争といったスペクタクルな題材を扱っており、作者が後にインタビューで自身の創作過程について触れていたように、相当に試行錯誤して編み上げた作品であることが推察される。
また、「国際的な親なし子」である登場人物たちには、異国から異国へと渡り歩いてきた作者自身のアイデンティティが投影されているように思われる。
物語の主人公である砂漠探険家の男は実在した人物がモデルになっているが、その人間像を含めて虚構的な要素が強く、すらすら読める箇所ばかりではない(オートバイでイタリアを南下した工兵が燃料を補給した方法など、謎が残る部分も少なくない)。
設定の多くはストーリーを展開させる上で都合の良い演出と見なすこともできなくはない。
土屋政雄氏による訳文は秀逸で、登場人物のキャラクターを見事に引き立たせている。
文語訳聖書から引用された文章には趣きがあるが、読解するのが少し難しかった。
それまでのオンダーチェの作風は混沌としたイメージの継ぎ接ぎ細工のようなものであり、基本的に取っ付きやすくはない。
本作は幅広い読者層に受け入れられた例外的な作品と言えるかもしれない。
ちなみに、後年に邦題『イングリッシュ・ペイシェント』として映画化されているが、原作にとことん忠実な内容ではなく、オリジナルの演出も少なくないため、本書に着想を得た新しい物語と解釈すべきだろう。
知識と戯れし者の哀れ 師弟篇
★★★★★
映画と異なり、小説は描きたくない事は隠しておける。主人公が誰なのか。傲慢なのかおびえてるのか。作者が謎にしたければ書かなければ良い。
この小説はこの利点を効果的に利用している。
最初の登場人物は元軍付き看護婦のハナ。続いて全身を火傷に覆われたイギリス人の患者。しばらくしてプロの泥棒カラバッジオが出て来る。数多くの死を見とったハナは生きる意味を失い、まだ不発弾の残る屋敷に患者と二人で残ることにした。ハナは患者を聖人として尊敬してる。
4番目の登場人物がインド人の地雷除去工兵キップ。キップは職人肌で知識欲も旺盛だ。やはり、キップも底なしの知識を持つ患者をすっかり尊敬している。独りカラバッジョのみが患者を疑っている。
小説は患者の謎に満ちた過去とその人間性が少しづつ明されるにつれ、周囲の人物が変わり行く姿を描く。特にキップの変化は大きく、本書の真の主人公はキップかもしれない。
カラバッジョが与えるモルヒネ混じりの注射により、患者はゆっくりと砂漠での出来事を話し始める。将来、患者になる男は、浮き世を離れて地理学や歴史の世界に没入し、生身の人間よりも知識を愛する男だった。
モルヒネのせいか意図によるものか患者の話は一人称と三人称を行き来し、なかなかカラバッジョにもその正体が判別出来ない。この謎だらけの人物の独白を中心に据えた手法は小説ならではだと思う。
しかし、若くて社交的でまだ妥協を知らない女性と将来の患者になる男、相反する性格の二人の愛憎なかばする関係が男の素性を明らかにしてゆく。
尊敬してきた偶像の空虚な素顔や、自分の今までの努力を否定する新型爆弾の出現により、これまで憧憬をいだいていた西洋の先進文明、特に知的活動に虚しさを覚え、キップは考えを大きく変える。
知識と戯れた世捨て人に残るのは、聖人への尊敬に取って代わった、ハナの哀れみのみである。
虚しい読後感であるが、それこそが作者の求めた物だと思う。
繊細な文章で描かれる心象風景は心に深く沁みる
★★★★★
映画のEnglish patientを観てからこの本を手に取る人も多いだろう。映画に描かれる悲恋は、この本の後半になってやっと現れる。映画はドラマティックであるが、この小説の真骨頂はストーリーではなく、登場人物の心象風景として描かれる微妙な感情である。孤独、悲しみ、つかの間の喜び、故郷の幸せだった時の記憶である。
優れた文学はストーリーが展開しなくても、読み手の中にイメージを喚起し、美しいもの、悲しい出来事を追体験させる。この点で、映画と小説ではかなり焦点が違っている。
飛行機事故で全身を火傷している病人は、名前もわからない。彼はEnglish patientと呼ばれている。英国人であろうという推測からである。そして彼を修道院の廃墟で献身的に看護するHana。 彼女を探して現れたCaravaggioは盗みを職としてきたが、戦争中は情報局のために働いてきた。そして、Kirpalはインド人の工兵で不発弾処理の専門家である。英国軍に入り、機械に関する稀な才能を見出されて複雑な爆弾処理をしている。そして、彼はHanaを慕っている。
四人の人生が絡み合いながら、四重奏として進んでいく。それぞれが全く違った感性を持っており、それぞれが自分のロジックで行動している。その違いが面白い。
登場人物の中でEnglish patientの存在は特異である。未来を持たないEnglish patientにとっては、大切なものはすべて過去にある。思い出としてのみ残っている愛、そして彼の情熱の対象であった古代文明。もうこの世界には生きる意味を持たない彼は、戦争、文明、民族という大きな悠久の流れを背景として、懸命に生き、死んでいく人間の運命を静かに見つめている。
Kirpalのアジア人としての視点はこの小説の中で大きな部分を占めている。著者がスリランカ出身であることを考えると、当然かもしれない。そして、原爆が日本に落とされたことを知ったときの、彼の反応は強烈である。爆弾の怖さを知り抜いている彼は原爆の恐ろしさを十分に想像でき、それが白人の国でなく有色人種の国に落とされたことに、怒り狂う。アジア人として生きるKirpalが、西洋世界で感じる疎外感とか孤独もこの小説の中に重要な低音部として、流れている。残念ながら、このような視点は映画からは全く消えている。
著者の英語は簡潔で読みやすいが、実に美しい。
Fabulous Story
★★★★★
数えきれない程たくさんの印象に残る言葉やセリフ、夢見るような詩的な表現で埋め尽くされた砂漠の風景…その中で、特に作者の砂漠に対する憧憬を強く感じた。
“四十日の道を行き来するのは、私たちとベドウィンだけ―”というくだりの文章は比類がない程に美しい。原書も読んだけれど、翻訳された文章も日本語の良さを生かして原書の素晴らしさを表現出来ていると思う。
砂漠を舞台に展開する過去と現在二つの恋。ほろ苦く心に染み入って泣けた。映画の映像の美しさと平行して是非お薦めの一冊です。
買いです。
★★★★★
映画化されたおかげで、例外的にこのシリーズからの文庫化が実現し、マイケル・オンダーチェの名前が一気に広まりました。詩集を含む諸作も次々に翻訳、とまではいきませんでしたが、まぁ「バディ・ボールデンを覚えているか」「アニルの亡霊」が翻訳されたので良しとしましょう。解説で史実としての矛盾を指摘されていたりもしますが、この作家の読みところは静謐な文章であって、作品の描く悲惨さを良い意味で覆い隠してくれています。未翻訳の詩集を除けば、個人的には「ビリー・ザ・キッド全仕事」が一番好きですが、手軽に楽しめる点では映画もあるので、この作品がお勧めです。