【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:森岡正博/著 出版社名:筑摩書房 シリーズ名:ちくま新書 521 発行年月:2005年02月 関連キーワード:カンジナイ オトコ チクマ シンシヨ 521 かんじない おとこ ちくま しんしよ 521、 チクマ シヨボウ チクマシヨボウ 4604 ちくま しよぼう ちくましよぼう 4604、 チクマ シヨボウ チクマシヨボウ 4604 ちくま しよぼう ちくましよぼう 4604 一人でした後の、何とも言えないむなしさ。なのにまたしてしまうという、厄介さ。実は男は、根っこのところで「感じていない」のではないか。だからこそ制服少女を目にしてはゾクッとし、美少女写真集を見てはあらぬ妄想を膨らませてしまうのではないか。にもかかわらず、多くの男が自分の「不感症」に気づかずにいるのは、なぜか。この問いに答えるべく本書は、著者自らの体験を深く掘り下げながら、問題のありかを探っていく。禁断のテーマに真正面から挑み、「男の性」を根本か
自分はどうなのか?と考えてみる本
★★★★★
この本は、著者の「嗜好」について
どうのこうの言う本ではないでしょう。
著者の「考え方」にそって
「自分自身はどうなのか?」
ということを考える本です。
そして、読んだあとに、
自分自身の心の中のなかに
「あるもの」について考えてみよう。
著者は、「自分自身の考察」によって
二つの根本的問題を明らかにした。
そのうちの
ひとつが、どうやら僕にも当てはまるようなので
余計に考えさせられた。
この本によって
自分自身を今までとは
「違って視点」で考えることが
できるようになりました。
ゆっくりと溶かしていきたいと思います。
スマイルシグナル/僕の問題は誰かが解決してる
勇気ある筆者に乾杯
★★★★☆
mixiニュースで「草食系男子」というキーワードを目にしたので、
関連書籍を読んでみた。
題名だけで判断すると、世の中の男は現実の女に関心を持たなくなり、虚構の世界に引きこもっているとかいう内容かなと思ったのだが、全然そういう内容ではなかった。
この本には、盛岡という男が自らの体験をもとにして、
制服フェチやロリコンだのといった現象がなぜ起こるのかについて仮説を立てる過程が記されている。
なかなか考えさせる本だ。ちょっと笑えるけれど。
男性心理を考えるにはいいと思う。
制服、ロリコン、ミニスカは割り切って楽しめばよい
★★★☆☆
私がこの本を買ったのはどうして制服女子高生に性的興奮を感じるのかと言う答えを求めたのが理由だ。しかし著者の考えには少し違和感がありインテリ特有の考えすぎみたいな感じがした。私なりの考えでは制服物のビニ本やエロ漫画は30年以上前からありそのようなものを繰り返し見ているうちに条件反射的に病みつきになったのではないかと思う。本書で取り上げられているミニスカ、ロリコンも現在は興味ないが、繰り返し見ると好きになるのかもしれない。これらの商品はいわば男の妄想を刺激する間接的なもので直接女の肌に触れるような性的興奮とは全く別のものであると割り切って楽しめばよいのではないか。
生命学の一表現
★★★★☆
本書は森岡正博氏の提唱する「生命学」のルールに則って書かれている。
生命学は、生命全般について哲学的に考察しながら『自分にとって』最高の人生とは何か、の解明を最終目標にしている。
『自分にとって』というところが重要である。だから、決して一般論にはならない。森岡正博氏の実践をモデルとして、読者が自分なりの人生観を培っていくしかない。
あくまでも森岡氏のやり方は、彼個人に合った方法であり、それを押しつけるものではない。
「こういう方法もありますよ」と言っているに過ぎない。
そこで、本書を誤解なく読むためには「生命学HP」を参照してください。できれば、「無痛文明論」を読むことをオススメします。
内容的には文句ありませんが、生命学を理解していないと誤解を招くおそれがある分、★を一つ減じました。
哲学って実はこういうことかも
★★★★★
この本の筆者は2つの点で自立している。
1つは本文中で本人も言っているとおりセクシャリティーを
「男は〜だよな。」という一般論の「申し合わせ」に逃げ込まず、
彼個人、固有名としてそれを語っている点。
もう1つは彼のミニスカ、制服、ロリコンについての思想が
過去の思想家から限りなく独立した形でなされている点だ。
セクシャリティーだからといって
安易に精神分析を拝借せず、
どこまでも自分の感覚にもとづいて思考すること。
私が好感を持ったのは本の内容とともに、その思考の真摯な態度だ。
「感じない男」、「男の不感症」の定義だが
本当に感じていないのだろうかということが私は疑問だ。
<オルガズム=射精>が必ずしも成り立たないというのはわかるが
射精は一般的には男の絶頂であるし、気持ちいい。
私は「感じる男」だということか?
筆者自身は「排泄の快感しかない」らしいのだが、彼は彼、私は私ということか。
不感症という言い方も疑問が残る。
要するに射精後の虚無感のことを彼が言っているわけだが、
射精後の虚無感は生物学に必然であるわけで、それは「症状」ではないと思う。
彼は「本人が心身のつらさを自覚的に訴えているのだから、
やはりそれは広い意味での医学的な症状としてとらえたほうがいいのではないか。」
としているが、
射精以外にも、例えば失恋すれば自覚的につらいし、誰かに裏切られたら自覚的につらい。しかし我々はそれを症状といわない。
この問題は実際にこの本を読み、自ら考えてみてほしい。