本書は、二代将軍秀忠から三代将軍家光の治世前半における幕府閣老土井大炊頭(おおいのかみ)利勝を主役に、世に名高い「伊賀越えの仇討ち」を絡めて描く骨太の時代小説。物語の展開が早く、飽きずに読み通せる。柳生宗矩、十兵衛父子や大久保彦左衛門など、この時代おなじみの面々も随所に顔を出す。
江戸初期を舞台とした従来の歴史小説で、最も多く登場する幕閣といえば「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守信綱だろう。この華やかな伊豆守に比べると土井大炊頭は地味だが、実際はかなりスケールの大きい政治家だったようだ。わがままな家光将軍にも、言う事すべて聞き届られるほど信任が厚く、筆頭老中(のちに大老)として権力を一手に掌握。また本書にある通り、彼は実は神君家康の落胤であり、その付託を受けたとの説は根強い。この大炊頭が、幕臣・譜代大名と外様大名の軋轢の沈静化に苦慮し、やがて一策を講じることになる。
一方、大和浪人・荒木又右衛門は、義弟の元池田家家臣、渡部数馬を助け、事態にほんろうされながらも、武士の意気地を貫こうと仇討ちに向けて動き出す。これを迎え撃つ河合一族とのぶつかり合いは、読みごたえがある。そこに映し出されているのは、世が定まり職業軍人という現実的な存在意義が薄れる中で、武士としての行動様式の美学をまっとうすることに新たな意義を見出す壮烈な人々の姿だ。(白川 楓)
荒木又右衛門
★★★★☆
前半は話の展開が大きく内容のわりに登場人物が多くて焦点が掴めなかった。土井利勝と荒木又衛門との関係が明らかになるほど読み応えが出てきた。天下泰平の初期にあって幕府、旗本、外様大名を巻き込んだ作品はなかなか面白かった。歴史小説162作品目の感想。2008/10/19
仇討ち
★★★★☆
下巻では複雑な政治問題から切り離され、仇討ちがメインテーマとして進行していく。
追う者荒木又右衛門、追われる者河合甚左衛門。どちらも仇討ちとは直接関係がない。言ってみればお互い当事者の親戚という立場。だが自らの命より一族の名、若しくは自分自身のプライドかもしれないが、命を懸けて戦う事になる。
「なぜ、そこまでメンツにこだわるか?」という思いと「損得勘定」で物事を判断しがちな自分自身に対する反省とを思わせられる。
なかなか複雑な話であったが、作者の「木を見ながら森を見る」書き方は読みごたえがあった。
おもしろいがマニアック
★★★★☆
本書のテーマである荒木又右衛門と渡辺数馬による仇討ち、伊賀越え(鍵屋の辻)の決闘は、昭和40年代までには講談でも人気で随分映画化されたが、それ以降の世代には、ほぼ知識が皆無だろう。若い世代にはかえって目新しい歴史小説のテーマである。
著者は、このテーマを、幕閣の論理、すなわち土井利勝、松平信綱らの視点を前面に導入して描くところに新しさがあり、伊賀越えの決闘に至る政治的背景の描写は怖ろしく細かく、一読しても整理困難なくらい複雑で、たぶん類書の中でも抜けているだろう。マニアックである。
難をいえば、同じ題材を扱った戸川幸夫の名作「死闘記」にかなりヒントを得たように思える部分がある。しかし、現在は殆ど入手不能なので、読者としてはこの本で荒木又右衛門に惚れ込むことで十分である。とにかく荒木又右衛門は文句なしにかっこいい。60代以上の男にとっては永遠のヒーローである。
むなしかった
★★★☆☆
有名なあだ討ちだそうだが、あいにく僕はしらなかった。はじめのうちは、いろいろな人の名前が出てきて混乱したが、下巻に入るとようやく佳境に入りあだ討ちにむかって話が収束してきた。
読後の感想をいえば、むなしさだけが残った。あだ討ちをしたほうも、された方も武士の意地だけでしているので、結果にかかわらず悲劇がおこる。けんかは、つまらないからやめときましょうというのが教訓か?