第1のテーマは、大域的な座標であるフリッケ座標とフェンチェル・ニールセン座標の導入の議論である。この根底に、閉リーマン面の被覆面(あるいは、フックス群モデル)の理論がある事を、読者は容易に認められると思う。
第2のテーマは、擬等角写像を用いた位相(特に、距離)の導入の議論である。特に、ベルトラミ方程式の可解性、即ち与えられたベルトラミ係数を歪曲係数にもつ擬等角写像の存在、及びそのフレシェ微分の積分表示に関する関数解析的な議論が非常に重要である。この結果、「タイヒミュラー空間は、フリッケ空間とともに、6g-6 次元ユークリッド空間と同相である」というタイヒミュラーの定理が導かれている。
第3のテーマ(複素構造の導入)は、ベルトラミ微分、擬等角写像、及び正則2次微分の各々の理論が美しく交錯する、本書のハイライトである。複素構造導入に関するベアスの素晴らしいアイディア、ヴェイユとピーターソンによるエルミート計量の導入、またその計量のケーラー性、更にその基本形式をフェンチェル・ニールセン座標で明示的に表すウォルパートの公式、などが美しい証明とともに述べられている。ここでは、「タイヒミュラー距離が小林双曲距離に一致する」というロイデンによる驚くべき大定理も紹介されている。
この本はタイヒミュラー空間を主題として、その位相的・解析的な基礎理論を語る事により、現代数学の魅力的な分野への案内書にもなっている。