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漢字がつくった東アジア

価格: ¥2,310
カテゴリ: 単行本
ブランド: 筑摩書房
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東アジアを巨視的に見るにはいい本ですが..... ★★☆☆☆
 現在は国家があって、国境があって、国民がいて...というのは当然のこととされていますが、これは欧米のルールを取り入れたためであり、東アジアにおいては、そのような体制になかった。

 それを理解するという点で、この本はいい本といえましょう。

 しかし残念ながら、「日本国憲法が人類のひとつの希望」「国家が人を殺してはいけない。だから当然死刑もいけない」という表現や、北朝鮮を指して、「拉致問題は許せない国家犯罪だが、マスコミは日朝関係をことさら煽り立てている」「北朝鮮の脅威は存在しない」という表現が、脈絡もなく突如として現れ、非常に異様な印象を受けます。

 「日本国憲法が人類のひとつの希望」「北朝鮮の脅威は存在しない」という主張の是非はここで問わないとして、それが「漢字がつくった東アジア」というのとどのような関係があるのか全く理解に苦しみます。

 むしろ上記のような政治的主張をするために、「国民国家という妖怪が現れる前の比較的安定した東アジア」という歴史をダシに使っているのではないかと思えてなりません。
書体の変遷は人間の精神の変遷でもある ★★★★★
 本書は政治史としての東アジア史ではなく、東アジアにおける精神文化の変遷を、多数の有名な書家による「書」の写真の解説を通して描き出そうとするものだ。著者によれば東アジアというまとまりは単なる地理的概念でなく、なにより漢字を使用する文化圏だということで、その特徴は有文字かつ脱宗教という文化・歴史的共通性を持つことにあるという。

 秦の始皇帝による統一によって脱宗教・政治優先の国家が完成するが、同時に殷・周という宗教中心の都市国家で生まれた神のための図象文字が、字画の集合体からなる篆書体に統一され、政治文化を表現する文字に生まれ変わった。そして漢代に入って、隷書体が木簡・竹簡上の政治文書として広範囲に用いられるようになり、徐々に東アジアというまとまりを作りだしていった。さらに、六朝時代に入って紙の使用が普及すると、草書体・行書体が手紙などの脱政治的文書に使われるようになり、政治文化だけでなく人間の情念全般を表現できるようになった。その後、人間的情念を含んだ政治国家として隋・唐帝国が成立するが、楷書体はその象徴だといえる。これは王羲士の手紙に代表される草書・行書が政治的表現も可能なように立体化して成立した書体であり、技法的には南朝の手紙文の書体と北朝で多く建てられた石碑の書体を融合して「トン(起筆)、スー(送筆)、トン(収筆)」と三折法で書くようにしたものだという。

 本書によれば、楷書体から行書・草書が出来たのではなくて、隷書体から行書・草書が生まれそれが幾つかのプロセスを経て楷書体になったそうだ。漢字の書体の変遷が、それを書く人間の精神のありかたの変遷をも象徴しているという本書の指摘にはうなづかされる点が多い。
非常にスリリングな東アジア文明論 ★★★★★
日本も朝鮮もベトナムも、東アジアの各文化は最初から存在していたわけではなく、漢字・漢文化との接触により生まれたのだ、という著者の主張はスリリングだ。
著者によれば、日本語も「やまとごころ」も、すべて漢字の導入により生み出されたものだという。また、いくら縄文文化がすごかったとしても、それが今の日本に直接つながっているわけではない、とも言う。

このような著者の主張は、日本文化のオリジナリティを賛美したい向きには、とても受け入れられるものではないだろう。
だが、本書はしっかりとした論理構成で、安易な反論を寄せ付けない。

細かい疑問点は数多くある。
例えば、日本語やトルコ語の「膠着語」という特徴が、孤立語的である漢字の周辺だからこそ生まれ得たという主張は、その他の膠着語(フィンランド語やタミル語)の存在を説明できない。
また、日本、中国、朝鮮に比べ、著者があまり土地勘がないと思われるベトナムや渤海といった地域についての記述は、取ってつけたような印象を免れ得ない。
すべてを鵜呑みにするのは、まだ危険な気がする。

だが、浮世絵の評価がまず海外で始まり、その後日本で再評価されたように、文化とは他の文化と触れ合うことで相対化され、そして初めてその価値が認識される、というものだと言えるかもしれない。
そう考えれば、漢字が日本文化を相対化したことは紛れもない事実であろうし、東アジアでの漢字・中華文明の圧倒的な力を考えれば、漢字が東アジアを「つくった」とまで言っても、言い過ぎではないと思う。

講義形式になっており(講演録を元にした?)、読みやすいのもいい。
東アジアを巨視的に俯瞰できる名著 ★★★★★
一般向け書籍とはいえないが、政、官、財のトップリーダーや学生、中国や歴史、言語に興味、関心のある人はぜひとも読まれたい。

著者は巨視的な観点から歴史をとらえなおし、国民国家という世界観を超えた広い文明的視野で東アジアを見る。
ヨーロッパの「EU」に倣って、「AU(アジア共同体)」なる言葉も生まれているが、著者の定義は新たな視点を与えてくれ、パッと視界が開けた感覚を味わうはずだ。

著者は「東アジアというのは単なる地理的な概念ではなく、『漢字文明圏』つまり『有文字・無宗教の歴史的、地理的、文化的地帯である』と定義する。
「一文字が一語である漢字文明圏」の方が正確という。

漢語依存率は中国では9割以上、日本は5割以上等と異なる。
アジアの盟主は中国である。
具体的な国家を示すのではなく、歴史的な概念としての中華、正確には漢語、漢字文明である。
その中華に照らし出されることによって、周辺の朝鮮半島や、弓なりの列島・孤島(=日本)が誕生した。
その歴史の延長線上に現在がつながっている。
つまり中国を中央部と捉えるわけである。
決して日本にとって屈辱的なことではなく、むしろ東アジア、ひいては世界をありのままに見ることにつながると述べている。

東アジアは中国を中心とする非常に曖昧なグラデーションで繋がる地方であり、中国といわれている国も複数の国が寄り集まってできている連邦国や連合国という視点をもつことが大事だという。

ちなみに中国は漢字のみを使用する言語圏だが、
中国全土で標準語として使われる北京語(中国では普通話という)の他に、長江以南に上海語、広東語(香港含む)などがあり、北京語と広東語はドイツ語とフランス語ほど異なると言われるように、ヨーロッパ各国の公用語ほどの違いがあると言われ、まったく通じない。
ただ、漢字という書き言葉が同じであるため意思疎通が比較的容易であることと、北京語があるために方言関係にあるとされる。

今の中国は悠久の歴史の中で、たまたま「中華人民共和国」という共産党支配の国家に統一されているにすぎないことがわかる。

著者は東アジアは宗教をすでに脱した段階にあり、西欧よりも先の思考を既に持っているとし、東アジア的叡智が生きて活躍する場もまた21世紀に確実にあると説き意欲的な考えも示している。
「歴史の進歩とは何か」が明示された本 ★★★★★
私が漠然と思っていたことを分かりやすい言葉で明示してくれた本です。

すなわち、
第1.歴史の進歩とは、より快適安全で、自分に責任の無い原因で差別を受けたり殺されたりしない社会、圧制や独裁の無い社会に向かって進んでいくこと。
第2.日本国憲法が「戦争放棄」をしたのは、「普通の国」であることを否定したことに他ならないが、これは世界に先駆けて歴史の進歩の方向に踏み出した偉大な決断。
第3,戦争とは国家による殺人犯罪である。日本がイラク戦争に加担したのは、「戦争放棄」をして歩み出した進歩の方向に背反する。
第4.国の主役はそこに暮らす民衆であり、民衆が国家を作っているのであって、統治されるためにあるのではない。
第5.「中国」は、EUと同じで、一つの「国」ではなく、東アジアで文字を同じくする言語の異なった諸民族の緩やかな集合体であり、朝鮮も日本もベトナムも、「中国=漢字文化圏」の一部である。
第6.秦の始皇帝の時代に「中国」は宗教段階を終了しており、未だに宗教が生活の基盤にある西欧・中東・インドは2000年以上遅れている。
第7.日本では400年以上も前に刀狩を済ませ、他の近代諸国家も国民が武器を保有しないで済む段階に進歩したのに、アメリカでは依然として銃の規制ができておらず、そのアメリカが世界最大の大量破壊兵器保有国である限り戦争は無くならない。