小説のなかの小説家の小説
★★★★☆
FM東京「気まぐれ飛行船」の頃からのファンにとっては、ほとんど毎月、角川文庫で新刊が出ていた時代からくらべるとずいぶん寡作になった気もするが、明らかに密度が増している。持ち味の現実感の薄さからくるストーリーの強さ、余分な言葉を取って削りつくした会話などますます独特の味が磨かれている。勝手な想像だが作者はまず英語で書き、それを敢えて日本語に「翻訳」する作業を必ず行っているのではないだろうか?
特に「投手の姉、捕手の妻」では時間と場所を超越する作り物の小道具(あえてネタばらしはしません)の使いたかたが絶妙。野球モノなので伊集院作品と読み比べてみると、作家の個性がくっきりとわかりおもしろい。
そろそろ出版社のかたは「全集」の企画を立ち上げたらいかがでしょうか?
何かに縛られていない孤独な小説って小気味いいし心地いい
★★★★☆
「青年の完璧な幸福」の続編といった趣き。今回は美しい女性たちを主人公に、「なぜ人は小説を書くのか」というその理由が片岡義男流に語られる。根幹にあるのは「自分で考える、という自由さ」。人によっては、書くことではなく、読むこと、あるいは酒を飲むことだったりするかもしれないけど、「孤独の底に最大限の解放がある」っていう著者の言葉に深く共感した。小説っていうとヒエラルキーだったりコンプレックスだったりっていうわかりやすさが求められるところがあって、片岡義男のような小説の存在は誤解されがち、過小評価されがちだと思うけど、最近の片岡義男の小説を読んでいると、理にかなっているというか、成熟しているというか、なんか妙になじむ感じがする。「青年の完璧な幸福」もそうだったけど、小説っていうものを深く考えているというか、独自のスタイルを確立しているっていうか。いっとう感じるのは“東京の人”ってことだ。松本隆にも通じる育ちの良さとクールさ。空調とか完璧に整った日当たりのよい快適な部屋ってイメージなんだよな。田舎もんが幅をきかせる世の中で、こういう何かに縛られていない孤独な小説って小気味いいし心地いいよね。爽快である。
あと、これって小説の形を取った小説論でもあって、片岡義男の創作手法がかなり具体的に書き込まれているのも興味深かった(「自分がいま身を置いている状況をきっかけにし、そこから虚構の一端をまず作っていく」とか「まぎれもなく内部の人なのに、部外者としての視点を持って、一時的にせよその視点のなかにいると、なんとなくクリエイティヴなことをしている気持ちになったりする」とかね)。プラモデルの魅力について主人公が述べた「いろんなことを思いながら、手順どおりに指先を動かしていくと、最後にはかたちが完成してそれが面白い」ってあたりが、片岡義男の小説の作法であり、理想であり、魅力なんじゃないかな。