枯れた感じが出てきた、川上弘美ワールドの短編集
★★★★☆
細かいエピソード、主人公の名前へのこだわり、句読点のタイミングなどにも、ちゃんと川上弘美流のスタンダードが貫かれているのに、いい感じで枯れてきたのかなあ、と初めて感じた本。「何でもなく生きて死んでゆく。」(『何でもなく』)なんでもない一文だけれど、その生と死のあわいを、たおやかでユーモラスで、時には少々ぶっきらぼうな日本語で、こんなふうに気持ちよく埋めていってほしい、と久々に思わせられた一冊でした。
脳の襞にやわらかくするっと入っていく文章の連続。
★★★★☆
川上弘美さんの本は何冊か手にとりましたが、読みとおせるものとそうでないものがありました。
でも、たとえ後者でも「今は無理でも後しばらくしたらきっと読めるようになる」という
確信付き。
心がゆったりしている時にでも再チャレンジしたらきっと読めるだろうという確信。
そういう意味では、現在の自分の心に余裕があるかないかのバロメーターとしても機能しています。
ぴたりはまった時の川上さんの文章は、幽玄な境地に誘い出してくれて
とてもとても好きです。
この作品集は、短いお話がたくさん入っているので、すっと入っていけました。
読んでいる時はまさに桃源郷。
俗なことが書かれてあってもなぜか浮世離れしたお話の数々でした。
ちなみに星が4個なのは、他の川上作品にきっともっといいものがあるだろうという
期待を込めての4個で、不満があったわけではありません。
関係ないかもしれないけれど、川上弘美さんの顔もとても好きです。
繊細な目鼻を絹糸でかがり合わせたかのような(←三島由紀夫作品の中の描写をお借りしています)
涼やかな美貌。
同じ女性ですが、純粋に昔から憧れています。
じわじわと沁み入る短編集
★★★★☆
「真鶴」に続き、立て続けに川上弘美。25編の短篇、というよりも裏表紙の解説文にあるように「掌篇」を一冊にまとめたもの。
最初の何篇かは「ふんふん」とばかりにさらりと読んでいった。読後感の強い『真鶴』を読んでしまった直後だっただけに、するする読めてしまうことに物足りなさを感じる部分も、ないではなかった。
が、この人の小説は、やはり一筋縄では行かぬのだわ…。「ネオンサイン」あたりからある種の感慨を残す作品が出てきて、読み進めるほどにその感慨がじわじわと、少しずつ堆積してゆくような感覚があった。
いずれもすぐに読めてしまう短いものばかりではあるのだが、何せ収録されている作品数が多いので、好きと感じる作品は人によってずいぶん違いそうな気がする。私は三篇連作となっていた「疑惑」を始め、「森」、「扉」、「白熱灯」、表題作「ハヅキさんのこと」、「吸う」、「島」が特に気に入った(こうして見てみるとやはり中盤以降の作品が多いな)。
ところどころ、読んでいて吹き出してしまう可笑しみのある部分や、ぐっときてしまう部分など、ひとつひとつはさりげないのだけれど、心の中にある風鈴をちりんちりんと鳴らしてくれるような、小さいながらも確かな「動かし方」をされるところがあって、こういうところに行き当たると「やっぱりこの人の作品を読むの、好きだなあ」と再認識する。
なおこれはいつものことながら、この人の日本語は、目にも耳にも(というか、あたまの中で音読したときの響きがね)たいそう心地よい。端正でありつつ、しっとりとウエットな(そういう意味でとても日本的な)、間合いが行間から滲み出てくるような文章だ。こういう日本語に出会うといつも「ああ日本で、母語として日本語を話す人間に生まれて良かったー」としんそこ思う。
以下引用。
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そのうちに泣くタネがなくなったので、「絶対泣ける」といううたい文句のついている本を三冊くらい買ってきて読んでみたけれど、これは、泣けなかった。だって、本の中の、死病だったり純愛をつらぬいていたり家庭環境が劣悪だけれどけなげに生きてる、とかいう女の子たちって、みんなわたしよりも幸せそうだったから。どの女の子も、人生的には不幸だったけれど、どの女の子も、誠実な恋人をもっていた。読んでいるうちに、いやあな気持ちになったので、庭で焚きつけにした。区の条例で焚き火をしちゃいけないことになってるのよ、と、飛んできた母に叱られて、一瞬泣きたくなったけれど、結局笑うことにした。焼け残った本の残骸が、かけた水をすってぶすぶす音をたてた。ばかだよねえわたし、と思って、最後はやっぱり、ちょっと泣けた。
「グッピー」より
(※「庭で焚きつけ」っていう唐突さに吹き出した)
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最初は、貴夜子とマブチ青年とは憎からずおもいあう仲なのかと推し量ったりもしたが、よくよく観察してみても、その気配は感じられない。それならばマブチ青年はわたしに好意を持っているのかとも推し量ったが、どうもよくわからない。男性と見るとすぐに恋愛ざたを思うのもいいかげんにすれば、と貴夜子ならば言うことだろう。両親の情熱の結果みたいな名前をつけられているにしては、貴夜子はそちらの方面はさっぱりであるらしい。
「白熱灯」より
(※両親の情熱の結果みたいな名前、というのにまた笑ってしまった)
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ヤマナシさんと、こないだ、目があって、わたしはそのあと嬉しくて、そこらの壁を蹴ったり、一、二回跳ねたりしたよ。
「姫鏡台」より
(※好きなひととのことで一喜一憂するこのかんじがとてもリアル)
”かりん”ゆっくり、ふわり
★★★★★
川上弘美さんの書く本は昔から好きで、新刊本が出るたびに買っていた。人にあげたこともある。諸般の事情によりしばらく本が読めない時期があり、まだ読んでいない川上さんの本が幾つか文庫化されてるのを最近見つけて手に取った。
その中には、変わらぬ世界があった。
創造をなりわいとする小説家に対して“変わらぬ”という言葉がほめ言葉か分からぬが、評者にとって川上さんは変わって欲しくない作家だ。
最初の作品のタイトルは「琺瑯(ほうろう)」である。
“青いふちの白い琺瑯の洗面器、昭和半ばの小児科の診察室にあるみたいな洗面器”
こういう小道具ひとつで、世間から少し離れた、ゆったりとした時間の流れを作り上げる。“かりん”という擬音は初めて聞くが琺瑯の音を表すには似合っている気がする。
この話は、女と女の出会いと微妙な関係を描く。関係はやがて終る。…おしまい。短い。
この本には26編の作品が治められている。平均10ページに満たないとても短い作品だ。評者が知る限りでは川上さん初めての試みだと思う。
これがすっぽりと合ってる。短編だからとひねった展開をするわけでは無い。いつも通り、ゆっくりと始まりゆっくりと終る。その間の展開は有る。でも展開が早いわけでは無い。
読後の感覚も長編と似た感じ。物足りない感じはしない。ちょっと不思議だ。
本書に含まれているのは、だいたい以下のようなものである。
・家事などの日常の細事をきめ細かく積み重ねた表現。
・しっかり読まないと、舌足らずに聞こえそうな優しい文体。
・隣町までで世界が出来てるような、小さく包まれた空間。
・ちょっと世間に取り残された感じ。でも二人なら都合が良さそう。
・適量の酒が引き出す上品な色香。
・倫理の壁をふわりと越える、まじめな男女。
全体的に登場人物の年齢は上がった気がする。川上さんの描く登場人物も歳を取るのだな、と思う。でもふわりとした浮遊感は変わらないみたいだ。
もっと読んでいたい物語ばっかり
★★★★☆
この本に入っているのは、電車が次の駅に着く前に読んでしまう位の短編小説なので、どれもみな「もうおしまい?もっと読んでいたいなぁ」と思うものばかりでした。
この作者の短編は初めて読むので、ほかの本も読んでみようと思います。