光る点はあるが、一貫した論点に欠ける
★★★☆☆
慶応大学経済学部教授が、学生の数学力の低さに文句を言っているコメントを評して、「慶応大学経済学部が入試科目に数学を入れれば瞬時に解決する問題である。入学後に数学の試験をしてもいい。数学検定合格を進級の条件としてもいい。いずれにしろ、簡単にできることをやらずに、文句を言って何もしないのはどうしたことだろうか」とくさす場面は圧巻だった。また、入試が単なる順位競争でしかなく、合格者の水準が時代によって激しく異なることを、試験問題を例示して指摘するなどの試みは評価してよい。しかし、それが何か重大な提言や発見につながっているかといえば、否である。実に惜しい。大学生が「名ばかり」で、ほとんど学んでいないからといって、それが何か問題があるのだろうか。また、教育成果が乏しいからこそ、高等教育を有償のままで放置しておくことには、一定の合理性が認められる。「高校無償化をしないのは、日本以外ではルワンダとマダガスカルだけだ」というのが著者のお気に入りのフレーズであるが、「名ばかり高校生」には、無償化などとんでもないという主張だって可能なのである。著者は、論旨を整理して、出直してもらいたい。
学ぶことの本質的な意義への問題提起
★★★☆☆
ゆとり教育、偏差値教育、学力低下などといった皮相的な問題ではなく、大学での教育のみならず、教育というものの意義であり、
学生からすれば学ぶことの意義という本質的な問題提起しているという点は非常に高く評価できる。
しかし、本書はテスト問題や他著からの引用が多く、著者の言わんとする内容がかなり希薄になっていることと、さらには著者の
論理展開がかなり強引で新書とはいえ、一部根拠を欠いた論じ方であり、説得力が欠けることは否めない。
名ばかり教育論の典型、教育社会学や計量研究の手法を学んで出直す必要あり。
★★☆☆☆
本質的には著者のお仕事の広報本である。根本的に教育社会学や計量研究のような客観性を担保しようとの意識が全くないのには非常に驚いた。これは研究ではなく、お仕事を受注するための単なるストーリーである。マーケティングに走る早慶と同じではないか。
第一に、日本の大学中退率が低い理由は教育問題ではない。企業をはじめ日本社会はイレギュラーな履歴に対して異様に厳しいため、中退させると社会的転落の危険性が世界一高いからである。著者は社会学や労働経済学の研究調査を全く参照していない。
第二に、大学の定数削減の議論がまったくなっていない。せめて吉川教授の著書を読み通し、理論的に批判できるレヴェルになってから主張すべきだ。定数拡大は政策として誤りである。
『学歴分断社会』吉川徹
第三に、幼児虐待や「荒れ」の原因分析が荒唐無稽で真剣に検討するに足らない「講談」である。社会調査の手法を学ぶべきだ。
第四に、入試問題をいくら分析しても「盲人象を撫でる」の類であり教育の質を計測することはできない。高等教育を受けているのだから、もっとまともな分析をして欲しい。せめて論文数や世界の大学ランキング程度は見ないと。
第五に、秋田の大学進学率が低いのは当然である。秋田県の主要産業を調べ、平均所得を首都圏と比較すれば良い。一部の欧州国のように大学無償化でもしなければ公平な比較は不可能。著者はごく基本的な経済リテラシーに欠けている。
第六に、高校無償化は明白なバラマキである。教育費負担の軽い欧州の有権者は、代わりに重税負担を受け入れている。日本のような低い租税負担率で高校をタダにしている先進国がどこにあると言うのか。当書には財政リテラシーも欠落している。
第七に、義務教育修了の資格試験は、各学校の卒業認定と重複するので労力の無駄。また、あっと言う間に教育関係者の利権になる。
学びからの逃走?
★★★☆☆
学生数が入試の難易度を規定するというのは面白いと思いました。
まずこれくらいの水準が欲しいからこれくらいの問題というのではなくて
就学人口に応じて受験者を切り捨てるために実にフレキシブルに問題の難易度を変える、
じゃあ若い頃東大京大に行けなかったおじさんおばさんは受けたほうが良いんじゃないでしょうか。
山田雅人さんは多分そういう計算も年頭にあると思います。就学者人口で難易度が規定されるならなぜ今の子は上を目指さない?それの解答として櫻蔭の問題を提示します。続いて70年とそれから格段にヴァリエーションが増えた08年の東大入試問題、こんなむずい問題を解かなければならないなんて子供たちが勉強からとんずらするのは当たり前だろと一喝しますが果たしてそうなんでしょうか。
まあどう考えても東大入学者全員が満点をとって入るわけではありません。7割でもべらぼうに多いくらいです。著者は就学者人口が難易度を規定すると断言しているのに問題の内容が難易度を規定しているようにこっそりすり替えを行っています。問題が難しそうに見えたってひとが減っているんだから難易度自体は下がっているんですよ。
じゃあどうして入試で一発逆転を今の子は狙わなくなっているのか、
著者のように問題の難度と入試自体の難度を誤解するほどぼんくらなのか
それともほかに理由が・・・・・。
そのほかの理由を知りたいのですがよく分かりませんでした。
それにしても入試の現代文はなんであんなに美術史とか美学の文章がすきなんだろう。
藝大コンプレックスかいな?
もうちょっとリテラシーをチェックできる論理的な分野の文章がいいと思うんですけどね。
あと慶應はいまだに数学をはずしている姑息な入試をやってるのに驚きでした。
竹中とか国に口出す前に自分とこに注文つけろって文句言いたくなりますけど。
結構経済学部は留年が多いそうですが明らかに数学から逃げた闖入者のほとんどがそれに該当しているはずですよね。
入れてから落としているということは受験料ぼったくりじゃないでしょうか。
経済学に向いていないというのは入試の段階と1年生の段階で厳格に執拗に宣告すべきだと思いますけれどね。
甘い顔を見せられてあとからぶった斬られる数学嫌いの大学生がちょっと哀れです。
あとそれから近年の就職難と学力の関係についても知りたかったんですけれど。
ただ単に席が少ないだけなのか
落とされている子らの中に学力的な因子で劣勢を強いられている子は存在しないのか
そしてその割合ですね。
冒頭のあの問題すら解けない子が進学して就職戦線に突入している場合
企業に基礎学力の欠落を見透かされている可能性は否定できないような気がします。
教養学力も人格も問題ないのに席が空いていないので苦戦を強いられているのか
ごく一般的な意味で相当なぼんくらだからあっさり落とされている人が続出しているのか
これをはっきりさせないと政策的に失点を重ねることになります。
前者ならばオーソドックスな手で時間稼ぎするまでですが
後者ならばかなりの奇策を弄する必要がありますね。
桜陰の問題はヒドい
★★★★☆
入試が教育内容を規定している。言い古されている命題だがそのメカニズムを具体的に指摘しているところがミソ。
*大事な指摘は入試問題が難しくなることが必ずしも学生の質の向上につながらない
*地域によって大学にアクセスする条件に大差がある
*偏差値による序列化が女子をも巻き込むにいたった
*勉強しないまま卒業する状況は変わらない
この説明はどれも納得のゆくものだが、そもそもなぜ名ばかり大学生がこんなにいるのか?
大学卒の肩書きと大学ビジネスを展開する私大の利害が一致するからだろう。
いまや新規大卒の4人にひとりは就職が決まらない。マクロで見れば学生が多過ぎるのは明らかだ。
その分の大学は遅かれ早かれ転廃業する自然淘汰されるだろう(税金の無駄遣いが減る分納税者には福音)。
ゆくゆくは入試をやめて入学資格検定一本にすべきだ。そうでないとまともに勉強している秋田や福井の生徒が浮かばれない。閑話休題。
それにしても桜陰の問題はヒドい。小学生に読ませるような文章でないというだけでない。(早熟な子ならこれくらい読むだろう)
よりによって古色蒼然とした美術評論家の日欧比較論を選ぶとは。その神経には呆れるばかりだ。