木で軍艦をつくった男
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「誰や!こんなことやったの」
黒澤明がそういって呼びつけた美術のコンちゃん。
できるのか、木でつくる鉄の軍艦!?
映画『トラ・トラ・トラ!』をめぐり、木で軍艦をつくる虚構に情熱を燃やした男、近藤司が語る実録——
1967年4月28日、東京プリンスホテルの大宴会場でエルモ・ウィリアムス・プロデューサー、黒澤明監督出席のもとに、映画『トラ・トラ・トラ!』の製作発表が行われた。この映画の日本側制作の美術監督は村木与四郎だった。そして村木のもとで美術チーフをつとめたのは近藤 司だった。『トラ・トラ・トラ!』は、クランクインまもなく、黒澤明監督の解任という事態となり、初期方針を変更しながら完成、公開されることになったが、この映画に最後まで一貫して従事したのは美術スタッフのみだった。近藤 司は、村木与四郎美術監督の直下で働く美術チーフとして、福岡県遠賀郡芦屋町海岸に建造された二隻の軍艦、戦艦長門と空母赤城を担当した。映画に参加した多くのスタッフが既にこの世を去っている。黒澤明、村木与四郎しかり、脚本の小國英雄、菊島隆三ももういない。わずかに生き残る証人の一人だった近藤 司が語る、映画『トラ・トラ・トラ!』に関わる事実の一片から、全てを知る手掛かりがひも解かれる。
著者について
近藤司
1951年宝塚映画撮影所の開設とともに入社。美術チーフとして数々の名作を担当。木下恵介、成瀬巳喜男、豊田四郎、川島雄三、久松静児などの名監督との作品に従事する。『トラ・トラ・トラ!』には、黒澤明監督の要請で当初から参加した。監督降板事件の後も映画完成の最後まで美術班に従事した。その後、宝塚映像専務を経る。
萩野正昭
1946年、東京生まれ。株式会社ボイジャー代表取締役。映画助監督を振り出しに、映画制作、レーザーディスク制作を経て、1992年ボイジャー・ジャパンを設立。東京大学大学院情報学環非常勤講師、『季刊・本とコンピューター』編集委員などを務める。『マガジン航』発行人。