学びはどこに生まれるか
★★★★★
学びの共同体って,何だろうと手に取ってみた。
多くの実践例をもとにしながら,解説がなされている。自分の知っていた「授業像」が古いものだと気づかされる。一斉授業は,過去の遺物となっているとのこと。一言でいえば,モノローグとしての授業からダイアローグとしての授業へ,となろうか。多様な意見屋感じたことが語られ,それを聴き,さらに新たなる語りへ。そうした協同学習から,豊かな学びが生まれるのだ。そして,派手な授業ではなく,子どもたち一人一人が自分とも向き合いながら,じっくりと思考を深めていく,そうした授業いま広がっている。
それを実現させるためには,学校の文化,そして教師の同僚性が欠かせないのだろう。「静かな」改革が進められている。教師同士にも,聴き合い,学び合う姿勢が何より求められる。
授業のはやりをプッシュしてはいますが・・・
★☆☆☆☆
自分は、本書において、学びの共同体をつくるためには、またどのような手法を用いれば授業を変えられるのかを期待しながら読みましたが、どれも教師の力量UPが必要だ・・ということしか読み取れませんでした。ですから、あまり欲張り・期待しすぎて読むと、ちょっと外れてしまうかもしれません。
おもしろい。 実例がおもしろい。 教えた結果もおもしろい。
★★★★☆
実例がたくさん挙げられていてとてもおもしろく読めた。教える、講義をするという行為を冷静に見つめ整理するそんな姿勢が伝わってくる。
たくさんの写真の中には、教育の実践者として知られている人が混じっているし、海外の事例もある。著者の行動範囲の広さが感じられる。
たくさん学ぶところは多かったが、一番気になったのは海外の事例の一つのメキシコの取り組みについての記述だった。教師たちの識字率を高める取り組みが成果を収める中で、生徒のほとんどは本を読まないという。その結果に悩む教師たち。
ふと、日本にも置き換えられる状況ではないかと思えた。
でも、メキシコでは教えた結果(単なる学力テスト結果ではなく)を気にしている教師がいる。このプロとして当たり前の行為がとても重要に思える。
現場から生まれた改革を丁寧に描いた好著です。
★★★★★
「行動する教育学者」と称される著者が1万を超える授業を参観し、またあまたの学校と交流する中で探り、提唱する「学校改革」を提示した良書です。
多くの教師にとって「良い授業」とは子どもたちが活発に議論し、最後には明瞭な「答え」にたどりつく授業でした。著者は今必要とされるのは、そうした派手な授業ではなく子どもたち一人一人のつぶやきを教室の中でつなぎ、行きつ戻りつしながら「学び」を深めるような授業である、と言います。それは地味で、なおかつ端で見ている分にはじれったいほど悠長な営みです。しかし教師が子ども一人一人に対して真摯に向き合い、あらゆる発言を尊重しながら進められる授業とはそういったものにしかならないはずだというのです。
こうしたプロジェクトを経た子どもたちは、「聞く」能力を身につけ、従来の勉強とは違う「協同」する力を獲得することができるのだといいます。これこそが21世紀に必要となる力だと著者は提唱するのです。
現場を知らない政治家や評論家から大上段に振りかぶって放たれるいかにも粗雑な教育改革論とは異なり、佐藤氏の語る学校改革は現場の教師達が手探りで進めている小さな試みに目を向けています。そしてその小さな試みが大きなうねりに(しかも世界的な)なっているまさにその過程を描いています。私も教師の端くれとして示唆に富む一冊でした。学校に通うお子さんをお持ちの方にとっても良書だと思います。