江戸から東京へ。生活困窮者は文明開化の恥部だった‥。
★★★★☆
かつて東京に存在したスラムの歴史をたどり、江戸時代から現代に
至る貧民や病者救済の実態をあぶりだす。
「人足寄場」は学校でも習ったが、弾左衛門や車善七らによって
運営されていた「溜」(ため)については、恥ずかしながら知らなかった。
「溜」は、浮浪者や老幼の病人などを保護し、食事や衣類を与えて世話を
する施設で、明治になるまでそれが維持されていた、という。
そしてその財源は、松平定信が町役らに課した「七分積金」という制度で、
すなわち、民間の資金であった。
日本では「お上」の一言は大きい。
寛政の改革は破れても、この制度は町役らにまかせたためだろうか、残った。
ご一新以来、日本は生き残りをかけて急速な西洋化を行い、すべて国家仕切り、
トップダウンで事が進んでゆく。
いつからか個人の自由と権利ばかり優先して、責任は負わない世の中になって
きた。
社会的弱者の救済は、お互いに助け合うこころ、相手を思いやるこころが
なければできない。
かつて、それは日本人の美徳とされていたところだった。
帝都の貧民誌
★★★★★
読み応えがある新書。塩見さんは、明治維新後の被差別民を巡る状況変化を組み込みながら、明治から現代にいたる政府による貧民政策の変遷を説明している。現在と当時の地図を重ねる形で、帝都の各貧民窟を紹介しているのには唸らされた。これには信濃町、新宿、神田などの地域が含まれる。
また、日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の業績に大きな評価を与えている点も印象に残る。渋沢は、東京養育院、東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加などの設立・運営に関わっている。その中でも、東京養育院から東京都老人医療センターにへとつながる社会背景の変化が興味深い。
塩見さんは、自分の経験から積み上げる形で貧民史を書いてらっしゃるように感じます。ただ資料を押し付けるのでなく、自分が歩いて疑問に思ったことを調べてきたのだと思います。
100年前のホームレス
★★★★☆
本書が取り上げているのは、主に明治、大正期の東京の貧民街のことだ。
しかし、現在でも貧困の根本は、100年前と何も変わっていないということが、本書を読むとよく分かる。
当時も今も、その原因は行き過ぎた「個人主義」の台頭と、「自己責任」の理論だ。
貧民屈で暮らすことも、ホームレスやネットカフェ難民となることも、
すべては「自己責任」という言葉のもとに、一個人の選択の結果とされてしまう。
しかし、そのような社会にした為政者の責任、行政の責任はないのだろうか。
一個人に社会構造は変えられない。
本当の責任は、国家にあるのではないだろうか。
待てよ、その国家を形成しているのは、私たち一人ひとりなのだ。
しかも、100年前と違い、今はより民主主義が浸透している。
つまり、私たち一人ひとりが変わらなければ、貧困はなくならないということか。
今まで見えなかった、見ようとしなかった歴史
★★★★★
どんな時代にも貧民と呼ばれる人はいるわけで、そういった人たちが明治維新後の混乱期や、それに続く激動の時代に存在しなかったわけがない。
だが、われわれの歴史観からは、それがすっぽりと抜け落ちてしまっている。
そんな光のあたらない、でも確かに存在した部分に光を当てた力作だ。
「貧民の帝都」というタイトルからは、貧民の生活ぶりなどについてのルポルタージュかと思われそうだが、実際にはあくまで為政者側から描かれており、「貧民救済の歴史」といった方が正確な内容だ。
江戸時代の貧民対策が意外なほどに充実していたことに驚かされる反面、明治維新後の混乱期にこういったシステムがどんどん破壊され、しかもそれを食い物に金儲けをしようとした人びとまでいたことには恐れ入ってしまう。
もちろん、成立直後の明治政府には、貧民救済に力を入れられなかったという事情もあるだろう。
だがその後もこの分野は常に後回しにされ、そして今に至っている。
明治から今まで、そのあたりはまったく変わっていないと思った。
あえて難点を言えば、正義感を振りかざしがちな文章が、正直ちょっと鼻に付くかも・・・。
これぞノブレス・オブリージ
★★★★★
「貧困」問題がクローズアップされる現代、鑑みる歴史資料はこの一冊に尽きます。要するに昔も今も満足な公的貧困対策としていいうるものはなく、遡ると江戸時代の七分金積立制度など民間の相互補助・互助の精神依頼の民間のボランティア精神に頼っていたということになる。
この書でも色々と「聖人」とされる人間が登場するが57年の長きにわたって養育院を守り育てることになった渋沢栄一氏にただただ頭がさがるとしかいいようがない。渋沢氏を日本の資本主義の生みの親としてだけ評価するのは完全に間違っている。これをノブレス・オブリージと言わずして何を言うのか。翻って公けが口にしてきた(そして現在も聞かれる)「自己責任」という言葉がいかに貧困対策を怠るだけの方便として使われてきたかがわかります。