貧しさとはどのようなものか知るために、一読すべき
★★★★☆
明治から大正時代あたりまでの東京のスラムと極貧階級について、木賃宿に泊まる
(長屋を賃貸できない)人々、娼婦、女工などの実態について様々な文献を紹介、
解説している。また政府の低福祉政策、宗教団体による貧困救済、社会主義運動など
当時の雰囲気も伝わってくる。
現在の日本は当時と比較して豊かにはなっているが、再び貧困が身近なものになりつ
つあり、本書を読むと、今後の日本の貧困問題について考え込んでしまう。
本書によると予算不足はもとより貧困に対する冷淡さ、差別意識が当時の貧困問題
解決を妨げていたという事だが、これは現在にも当てはまるだろう。
国全体が貧しくなるとどうなるかを知るために、またどうすべきかを考えるためにも
本書は一読すべきだ。
初期資本主義の生んだもの
★★★★☆
おおよそ明治期から戦前までの東京における都市下層を扱った本。
横山源之助『日本の下層社会』、松原岩吾郎『最暗黒の東京』、
『職工事情』といった当時のルポルタージュや調査報告をまとめる
ような内容になっている。
扱われている内容は、スラム生活の衣食住と職業生活、社会福祉の
未整備が及ぼす影響、娼婦の生活、女工の生活である。当時の数々の
記録がまとめられているので、1つのレポートだけを頼りにするより
も当時の一般的な姿として説得力があった。
初期の資本主義のイケイケドンドンから振り落とされ、あるいは
良いように利用され、もしくは良いように使い棄てられた人々の姿は、
現代的な視点からすると非常に悲哀に満ちている。社会主義、共産
主義というものが1つの社会改革の目標としてリアルさ、さらには
切迫さをもって受け入れられたのも頷ける。
ルポがどこまで大げさな表現を省いてニュートラルに書かれたのか
今では確認しようもないが、社会福祉事業・制度が整わない時代に
あって、その当然の結果としてスラム生活が広がっていたことは
疑いようもない事実である。
現代の日本社会以前に日本人がどういう汗や血を流してきたのかを
知ることは、非常に大切だと思う。
あとここまでのレビュー内容から外れる不道徳な感想も付け加えて
おきたい。悪臭や喧騒、さらには痛みが感じられるおどろおどろしい
下層社会の様子、怖いもの見たさや興味本位から読んでも面白い。
凶悪犯罪への関心にも似ていて、事実は小説よりも奇なり的な読み物
としての楽しみ方もできる。非常に不謹慎で気を悪くされる方も
いるかもしれないが、私の嘘偽りのない感想である。
ふるさとは貧民窟なりき(小板橋二郎著)をあわせて読むべき
★★☆☆☆
「「下層社会」に生きた人々の人生は悲惨である」という前提から出発したのでは、スラムに生きた人々の実際の姿を描き出すことはできないと思います。
この著書の限界は、筆者が、結局のところ、実際の「下層社会」の生活の中に、深く分け入っていないところにあるよう思う。外からは悲惨に見える場所であっても、そこに生きている人は、笑ったり怒ったりしながら、したたかさを持って生きている。ほとんどの場合。
貧困で凄惨な経験をした人は実際にいただろうし、現在も間違いなくいる。そのような人たちに、何らかの社会的政策がなされることは当然ですが、貧困の中に生きる人=みじめな人生を送った人 というような安直な捉え方をしていると、そこに生きる人を、一個人として見ることの重要性を見失うのではないかと思います。
この本に興味をもたれた方は、ふるさとは貧民窟なりきを是非併せて読んでください。
昔の貧困の話だが、現代で無関係ではいられない
★★★★★
”下層社会”とタイトルにあるが、最近はやりの格差問題、下流問題の本ではない。明治〜昭和という、日本の近代に存在した、凄まじい貧困の歴史にスポットを当てた、我々がよく知る歴史とは違う暗黒の歴史の本である。
戦前、東京では三大スラム街といわれる、四ッ谷鮫ガ橋、下谷万年町、芝新網町などの大規模スラム街が存在した。本書は、そこでの貧民の生活を、同時代のルポタージュや新聞記事をもとに、丹念に掘り起こしていく。
そこにあったのは現代の我々からは想像を絶するような絶対的な貧しさだ。
残飯を煮染めて糊のようにした料理を出す残飯屋と、そこにに群がる貧民たち。
生活の糧にと、下水まで降りて、上流の陸軍施設から流れてくる米粒を拾う女たち。
服も満足に買えず、ただボロ布を見つけてきては、上に羽織るだけで、着たきりのままになっている人たち。
中でももっとも心を打たれたのは、ある貧民一家の記録である。医療費を満足に出せず、一家が次々と倒れていく。稼ぎ手がいなくなるので医療費が稼げず、さらに健康状態が悪化していく、その凄惨な悪循環の過程だ。一家の末路は分からないが、筆者は冷徹に”一家が全滅したであろうことは想像に難くない”と結論付けている。社会保障がない時代にあって、死はあまりにも身近な存在だったのだ。
驚くべき事は、明治〜大正にかけて、時の為政者たちは貧民対策をなんら嵩じてこなかったこと。すべては貧民の怠惰のせいにし、貧困問題は無視し続けていたのである。だが実体は全く違う。どれほど働いても、満足に食べていく事すらできない、それが貧民社会だったのだ。もちろん日本全体が貧しかったせいもあろう、だが責められるべきは為政者、哀れまれるべきは搾取され続けた貧民たちである。
昭和期に入りようやく社会保障制度の原形が芽生え、それが完成するのは戦後になってからだった。国民皆保険制度、社会福祉制度、近代から現代にかけて乗り越えてきたものが、確かにここにある。ノスタルジアで美しく語られる事が多い近代も、実は一歩間違えると誰もが貧困に転落してしまう暗黒の時代でもあったと本書では語られる。
今日の日本では、新自由主義のもと、格差が広がるのは当然と見る目も多い。だが人間、努力や才能だけではどうにもならない運命というものがある。そのセーフティーネットとしての社会制度、それが無い時、社会からあぶれた人がいかに悲惨な末路を辿るのか、その教訓をまさにこの本は与えてくれる。社会保障の削減など行き過ぎた新自由主義への警告をこめて、まさに現代にむけ問題を提起してくれるこの本に、私は5点満点を献上したい。
決して難しい本ではない。文体も読みやすく、文庫で気軽に読める本だ。社会問題に関心をもつ人なら、ぜひ一度読んでみて欲しい
今の豊かさは幻か
★★★★★
たかだか数十年前の日本には、今の日本人とは違う人々が住んでいたのではないか、
本書の舞台は、日本ではないのではないかとまで思わせる内容だ。
日本人とは、こういう国民だという思いがそれぞれ日本人にはあるだろうけど、そのひとつひとつがひっくりかえるに違いない。
自分の日本人感をひっくり返すためにも読むべきだろうと思う。
もちろん、ぼくもひっくり返っておたおたしている。
本書に出てくる日本人の子孫が、目の前にいる日本人だとは、なかなか思いがたい。
そして、自分の先祖は、いったいどこでどんな暮らしをしていたんだろうかとおもう。